7月より世田谷美術館で開催されている『醤油』に出かけてきた。東京都が誇る素晴らしい公園の1つ、砧公園の中にひっそりと佇む美術館は何度訪れてもそのロケーションに唸らされ、美しい緑の中を一歩一歩近づいていくと、これからふれる世界への期待がどんどん膨らんでいく。
榮久庵憲司さんとGKの名前にピンと来なくても、この醤油瓶を知らない日本人はいないだろう。これをデザインしたのが榮久庵憲司さんであり、その彼が率いてきたのが、昭和27年に設立して現在国内外12社によって構成されるGKグループである。鉄道やバイク、スペースや企業ロゴ、電気製品に東京オリンピック招致ロゴマークまで、ありとあらゆるものをデザインしてきた集団で、戦後日本のデザインを牽引し、発展に大きく貢献してきた。
僕が偉大なGKグループにふれられることになったのは、ヤマハ発動機のスポーツバイクを創業時から手がけてきたから。デザインのヤマハと呼ぶ方が多いのは、GKグループの存在抜きには語れない。もっというとデザインのフリーランス集団が、世界有数のバイクメーカーとガップリ四つで、これほど長い年月に渡って商品を作り上げてきた例は他にない。妥協なきデザインを作り上げてきた自負は、GKにはちろんヤマハにもある。今回の展覧会でもバイクの存在は見受けられ、ずっとつき合ってきた僕には誇りに思える。そしてそれ以上に、これほどまでに日本の生活に入り込んでいたのかと驚嘆の連続だった。
デザインなる言葉とはずいぶんつき合ってきたつもりだ。でも僕にとってその表現フィールドは二次元であり、まったく異なる凄みを感じることとなった今回の展覧会だった。もちろん三次元にだってふれてきた。様々なプロダクトの発表会でその斬新なデザインにうなり、担当したデザイナーによる解説などを聞く機会にだって恵まれることもある。デザイナーとのデザイン談義に花を咲かせるのも、生意気にも立ち回っていたから、勝手にデザインなる世界に精通している自分との思い込みがあった。今回の展示の数々によって、48歳にして頭をガツンと叩かれて粉砕骨折させられた気分だ。デザインの持っている可能性や世界観の大きさを知った。モノと人間の共存とは、なんと奥深いのだろうと考えさせられる内容に、出口までボコボコにされっぱなしだった。
9月1日までの開催なので、興味のある方はのぞいてみてはいかがだろう。粉砕骨折にはくれぐれも気をつけて(笑)。
実は80年代芸大に通ってまして1回目の大学はGKの曽根先生は2回目の大学(このタイミングで大阪です)で
GKの逆井先生に習ってました。初めての授業は正確な10cmの立方体を作れ!でした。
ひえー、そうでしたか。ついさっきGKさんで打ち合わせがあって、この話で盛り上がりましたよ、ハハハ。