このご時世に、国民的歌手とのコピーが似合うのは、桑田佳祐さんをおいて誰1人いない。我ら昭和40年男にとって、リアルタイムでそのデビューを目撃したことは幸せである。
先輩方が口にする音楽シーンにまつわる伝説の自慢話をいつもうらやましく思って成長した。
「ビートルズの武道館公演を観た」「レッド・ツェッペリンの初来日を目撃した」「ホテル・カリフォルニアのヒットが高校生のときだった」などなどだ。どっこい、俺たち昭和40年男にだってたくさんある。
「ロッド・スチュワートがポップスシンガーになっちまった(昭和54年の『アイム・セクシー』のヒット)」「ストーンズがおかしくなっちまった(昭和55年のアルバム『エモーショナル・レスキュー』リリース)」「ジョン・レノンとジョン・ボーナムが逝ってしまった(ともに昭和55年で、ジョン・ボーナムの死によってこの年レッドツェッペリン解散)」と、ありゃりゃ? ネガティブばかりじゃないか(笑)。気を取り直して、昭和40年男のリアルタイムに感じた音楽シーン伝説を自慢しよう。
「小6の頃で、もうすぐ中学生になる冬に『ザ・ベストテン』が始まった(昭和53年放送開始)」「ポリスが衝撃のサウンドでデビュー(昭和53年)」「マイケル・ジャクソンが『スリラー』をリリース(昭和57年)」などなど、国内外ともに百花繚乱の時代へと突入していく音楽シーンのど真ん中を、10代の多感な時期に過ごした。これはとても幸せなことだ。そして、後に国民的歌手にまで登り詰める桑田さんのデビューを目撃できたのである。中1の夏というのもステキな経験である。当時は国内のポップスやロックが賑々しく、沸点へと向かい始めた頃だ。そんな勢いの中にあっても、桑田さんは強烈すぎた存在だった。いわゆるスターぽいルックスやオーラでなく、汗とエネルギー、そしてリアリティを感じさせた。ラララ~と叩き付けるように歌う姿に、俺たちはその歌詞のとおり胸騒ぎがしたのだった。
キャリアを積むたびにビックになっていくサザンオールスターズの成長にもリアリティを覚え、キチンと支持されてその輪がじんわりと大きくなっていくのに好感を持った。僕はサザンのアルバムを常に聴き込むようなファンではなく、アルバムはテープに収めてモノしか持っていなかった。でも常に好きな存在で、その良さがじんわりと浸透して強まっていき、それまでサザンにお金を使ったことのなかったのについに、活動休止宣言となったライブDVDを購入するに至ったのだった。こんなブルースバカの僕の財布でさえこじ開けてしまった、桑田さんはやはりグレイトである。ちなみにこの後、桑田さんのソロベストまで買ってしまうのだから、1度ゆるめられた財布のひもはなかなか締まらないものだ。そしてその桑田さんが、もっとも輝くのがサザンオールスターズで歌っている姿で、長くやってきたチームの素晴らしさを感じられるのがこれまたうれしい。
今回の復活劇に驚かされたのは、よくもまあこの情報社会でサプライズを遂行できたことだ。復活の時期を吟味して(35周年のこのタイミングしかなかったが)レコーディングに入り、プロモーションやライブスケジュールを練り、いきなりの発表まで極秘を貫いたのは見事である。先のデビット・ボウイもやってのけた大技だが、ビックネームのミュージシャンたちにとってはこれからのひとつの潮流になるかもしれない。インパクトが強い分だけ、それ自体のプロモーション効果が絶大だもの。
ただひとつ、その巧妙な復活劇を飾った『ピースとハイライト』が、大々的なCMによりスタートしたのには違和感を感じてしまった。国民的な歌手の復活劇を、利用された気がしてしまうのだ。強いメッセージを込めた言葉で綴られているこの曲が、CMソングとしてはミスマッチに感じてならない。
それより、今年は「ザ・タイガース」が復活するとか?トッポ(加橋かつみ)もOKしたとか。
岸部シローは無し。w 彼は楽器がまるっきり弾けない。
サザンよりゴダイゴが好きだった。本物志向・プロ志向だった。(ガキのクセに)
あと、昭和40年男のリアルタイムに感じた音楽シーン伝説と言えば、ベンジャミン伊東率いる電線軍団のこたつの上で歌い踊る『電線音頭』よねぇ~♪
そのとおりですな。『東村山音頭』も。