副編小笠原から電話が入ったのは20日の夜のことだった。
「野口さんのインタビュー、OKが出ました」
以前から取材をオファーしていたタメ年男であり、宇宙で123日間を過ごした野口聡一さんが
取材を受けてくれることになったとのこと。
「おっ、やったなあ。いつだ?」
「明後日です」
「×▲○○□▽…」
「どうしましょう? スタッフィングを含めて」
「ちょっと待て」
一応手帳を確認したが、もちろんピッシリと予定が埋まっている。
「なんとかこじ開けてみるよ。でもこの時間では先方に連絡がつかないから、明日連絡しよう」
「はい」
しびれたよ。
次の日に2件の先方に連絡を取り、ひたすら謝って謝って、なんとか時間を開けてもらったのだった。
外部スタッフに依頼すればいいという考えもあるが、
このタイミングであれやこれやと調整するのなら自分の調整をした方がよっぽど早いし、
企画の主旨を伝えて資料をそろえて…なんてやっている時間はない。
小笠原に協力を仰ぎ、短い時間ながら資料をそろえてもらい、よっしゃー、俺が聞いて書くぞーと気合いを入れたのだった。
ただ、もうひとつの大問題があった。
取材時間が20分しかないというのである。
どっひゃー、そりゃーなにを聞けばいいの?
これまでの取材人生で、もっとも短い時間設定のインタビューである。
そこで俺たちが立てた作戦は、訓練中や宇宙でのエピソードなどは置いておき、
昭和40年男ならではの質問のみに集中するというものだった。
現場となったJAXAに予定の10分前ほど前に着き、緊張しながら待った。
この短時間にまとめ込まなければならないというプレッシャーが俺を襲う。
予定の3時キッカリに野口さんの前に座り、広報の方に時間を確認すると「25分くらい大丈夫です」とのこと。
やった、この5分は大きいぞ、と早速インタビューを開始。
おそらくこの日は取材対応日として、マスコミ各社を30分刻みで迎え入れ対応するということだったのだろう。
俺は作戦通り、昭和40年男の宇宙飛行士という部分にのみ絞り込んで質問をぶつけた。
たぶん、他のマスコミ各社とは質問のベクトルがまったく違っていたことだろう。
回答に困ったこともあったと思うが、しっかりと丁寧に答えてくれた。
それにしてもなんと聡明なひとだろう。
名前の通りだね。
言葉が人格というのか、きれいな心をのせてジンジンと染み入ってくる。
3度ほど目がウルウルしたが、その度いかんいかんと自分を取り戻し、なんとか仕事に集中させる。
10分くらい過ぎたかな、と思い、時計をチラッと見るとすでに20分が過ぎていた。
げーっ、後5分かよ。
ラストスパートしてキッカリ25分で終了した。
これほど短く感じた25分が今までの人生であっただろうか?
挨拶をして部屋から出ると、どっぷりとした疲労感と
うまくいった心地よさが体の力を奪っていき、その場にしゃがみ込んだ俺だった。
いつか酒でも酌み交わしたいなあ。
本気でファンレター(この時代に俺は化石か)でも書きたくなった、美しい魅力あふれる方であった。
さてさて、せっかく受けてくれたんだ。いい文章にしなくちゃな。
このインタビューが掲載される次号『昭和40年男』の発売は9月11日の予定なので、乞うご期待。
毎度、風親父です。
野口聡一さんのインタビュー羨ましい限りです、次号を楽しみにしてます。
報道やメディア関係の仕事をしている方々が羨ましいのは色々な世界の人と会えること・・・、だけど嫌いな人とも会わなければならないこともあるんでしょうね、なんて質問だめですね。
今日、次回のラブジの告知がでましたね、うちの親分はあの一週間(シルバーウィークですか)休むぞ宣言が昨日でたので行けそうです。
ついでに二泊三日くらいのツーリングを計画しようかなんて悪巧み中です。
インタビュー取材はこの仕事の醍醐味を味わえるすばらしい現場ですが、プレッシャーとか話し方とかもっとも難しい現場でもあります。今度インタビュー取材についてこのコーナーに書いてみますね。