戦争に対してリアルに感じ始めたのは、皮肉なことにロックが引き金だった。
ジョン・レノンの叫びやウッドストックに興味を持ち、掘っていくようになった。
そこをキッカケにして我が国の歴史を紐解いていきながら見聞を広げていくうちに、
親父やお袋が教えてくれたこととどんどん結びついていった。
今の仕事に就いたことや、これまで長いこと音楽を続けてこられたことは、
そのころにつちかった平和を願うテーマが中心にビシッとあるからだろう(アグネスじゃないっすよ)。
原爆ドームに行き、知覧にもいった。
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(毒ガス兵器を開発していた島。戦時中は地図から消されていた)という小さな島にも行った。
台湾では総統府を訪ね、日本統治下の話に涙を流した。
沖縄の悲しい歴史も取材を繰り返した。
「県民に対し、後生、特別のご配慮していただくことを願う」との言葉を残して自決した、
沖縄海軍司令官であった大田実少将(後に中将)の存在には号泣した。
こうした経験を経て、どんどん自分の考えが固まっていったのだった。
俺たちは諸先輩方と比べると、声を大にしてイデオロギーを叫んだ世代ではない。
学生運動やフォークゲリラといった、ああいうかたちでの熱いエネルギーの発散経験はないだろう。
どちらかというともう少しワガママというか個人主義というか、
せいぜい暴走族みたいに不満をぶちまけるといった行動だった。
それはそれでエネルギーは込めたものの、ずいぶんとナンパである。
豊かさの象徴なのかもしれない。
だからね、若い頃にさぼった分、今がんばろうよ。
ただ、俺の持論は俺のために練り上げ、そして愛する者たちへと伝えていくものであり、
『昭和40年男』の誌面で語っていくものではないと思っている。
今回連載を決めた「俺たちの知らない遠い夏の日」のようなページをつくり、
記録として残していくことが『昭和40年男』編集長としての使命なのかなと。
皆さんが練り上げる戦争論の、手助けになればと思う。
もちろん俺自身にもきっと血肉になっていくことだろう。
やはりナンパ者なのかもしれないが、あの戦争に関してとやかく論争を続けるよりも、
各自が自分というバランスの中で思想を練り上げていき、
それを自分の愛する後世へと伝え、またその下へと連綿とつなげていくことがもっとも重要な責務なのではないか。
2度と起こらないこと、世界中が平和を目指すことを目標にコミットしていく世代なのではないかと思っている。
戦争というテーマですからいろんなご意見あると思いますが、
お付き合いいただきありがとうございました。
またちょこちょこと綴ると思います。
追記
今思えば死んでしまった親父にもっと体験を聞いておけばよかったと悔やんでいる。
テキストにしてキチンと残しておけばよかったなと。
ご両親がご健在の方々はぜひ記録してください。
また、「俺たちの知らない遠い夏の日」では取材対象者を捜しています。
思いあたる方はぜひご一報いただけるとうれしいです。