昭和40年近辺生まれのスタッフたちが集まっての呑み会のこと。
各自の戦争観を熱く語り合った。
今回の夏特集の最後に入れた「俺たちの知らない遠い夏の日」を連載にして、
雑誌としてもキチンと戦争に向き合っていくことを宣言したから、そんな話の展開となった。
イデオロギーの根底にあるものは、戦争体験を親からどう伝えられたかが大きな要素だろう。
昭和40年付近の男たちにとっては、きっとそういうことになると一同頷いた。
そのうえでの熱い議論である。
俺の親父は昭和7年生まれで、お袋は16年生まれだ。
小学生の頃、2人から戦争の話をよく聞かせてもらった。
親父は自分が戦争に行けなかったことをいつも悔やんでいた。
我が家ではあの戦争が間違いだったとはされず、
大国に立ち向かっていった勇猛な大和魂と教えられた。
「ああ、また言ってるよ」
そう聞き流していたことも多いほど、しょっちゅう語っていた。
それでも大切なことを伝えようとする姿と熱が記憶に強く残っている。
もう2度が戦争は起こってはならない。
だが世界中では戦争がなくならないとも教わった。
お袋は戦争というより戦後の話だった。
もののない時代のことを話した。
いもばっかり食べていた。
脱脂粉乳のまずさや、シラミ駆除のためのクスリを頭からまかれたと。
でも、その中で皆たくましく生き抜いたことをよく語っていた。
子供心には、どちらかといえばお袋の話の方がおもしろく思った。
自分と同じ歳くらいのときにそんな経験をしていたのだと、心に刷り込まれている。
戦争を知らない子供に、なんとかその悲惨さと日本人の心みたいなものを
2人ともに教えようとしてくれたのだろう。
そんな教育を受けていながら、
テレビでたまに流れていた戦争の映像にリアリティを感じることはなく、
ただ大昔の出来事だと思っていた。
世界中で戦争がなくならないといわれても、どこかリアルに感じることができなかった。
これ長くなるだろうな、続く。