大編集後記その十。プリンスとティナ・ターナーの衝撃。

プライベートダンサー前号より連載が始まった『Time slip! billbord』はいかがだろう。洋楽ジャンキーだった僕にはたまらない企画で、楽しみにしているページである。昭和40年男にとって洋楽との出会いは、ビートルズやカーペーンターズ、ベンチャーズなど上の世代からのレコメンドから入った方が多いだろう。加えて、ベイ・シティ・ローラーズやキッスといった70年代後半に大ブームを起こした連中に、兄ちゃん姉ちゃんがハマったおかげというタメ年男も多い。僕はクイーンやロッド、アバなど中1時代の強力ヒットに誘惑された。その後に来るトト、フォリナー、ジャーニーなどの商業ロックと呼ばれた連中や、ヘビィ・メタルムーブメントから入ったというちょっと遅めの方まで、聴き始めたタイミングはそれぞれ差異はある。でもかなり多くの昭和40年男が洋楽に夢中になったのは、洋楽を聴いているのはなんとなくカッコよくて、背伸び感覚を楽しめたのも大きい。

僕が聴き始めた中学1年生の頃は、洋楽情報は極めて乏しかった。やがて迎えるビデオクリップ全盛時代ならいざ知らず、主にはラジオと雑誌から得ていた。そんな情報源のなかにあって、ビルボードやキャッシュボックスのチャートは貴重だった。なんといっても本場のランキングな訳だから。自分がラジオから得た曲を照らし合わせて大物具合を知り、雑誌やレコードジャケットでどんなルックスかを確認するという、今考えると途方に暮れてしまいそうな面倒な作業を経て洋楽通を名乗っていた。

『Time slip! billbord』は、当時貴重だったこのビルボードランキングで作っているページで、前号の初回では1981年の11月21日、最新号では1984年の9月1日のチャートで解説している。年間ランキングでないのが素晴らしいと自負しているところだ。それは10代にとって音楽は、その時間ごと記憶に封印する。つき合っていた女の子だったり仲間の存在とか、悩んでいたことなどなど…、その季節との組み合わせまで鮮やかに思い出させてくれるものだ。では今回の1984年9月1日のチャートはどうか? 

19歳になったばかりの当時の僕にとって、ランキングを追いかけるなんて必要ないとの音楽通を自負していた。とはいえ、今回あらためてランキングを前にすると当時の記憶をググッと引き込むからおもしろい。衝撃的だったのはプリンスだった。バイト先の先輩がチョクチョク海に連れて行ってくれた年だ。居酒屋のバイトを終えるとそのまま夜の道をすっ飛ばして千葉県の九十九里に出かける。夜中の3時くらいに到着してひたすらビールを呑み語り合った。この19歳の僕の絵にはプリンスがいる。「お前音楽やってんだよな。これ聴いたことあるか」と、カーステレオから聴かされたプリンスのショッキングだったこと。プリンスの記憶には先輩のクルマと九十九里の海がセットされているのだ。

ロッドライブこのランキングにはもう1人、僕に大きな衝撃を与えたシンガーがいる。この日の1位を獲得しているティナ・ターナーだ。19歳になる直前の夏にプリンスとともにハンマーで頭を殴りやがったのは、『愛の魔力』だった。この曲が収録されているアルバム『プライベート・ダンサー』の存在を知り、夢中になって聴いたものだ。彼女にとってこのアルバムは完全復活となり、その後はソロ活動だけでなく、多くの色男たちとのデュエットでも活躍した。デビット・ボーイとの『トウナイト』なんてカッチョいい曲をキメたり、ブライアン・アダムスを従えたり、ロッドやミックとライブで共演したりと、もうやりたい放題に見えた肝っ玉姉さんだった。それもそのはず、豪快さが武器のようなティナだが、あれだけのハイトーンを完璧なピッチで、かつ繊細にコントロールできるシンガーはそうそういない。個性と癖が強ければ強いシンガーほど、正確無比なピッチとリズムで上のメロディをかぶせてもらえるのはありがたいのだ。しかも舞台映えするからライブも盛り上がるって、最高でしょう。ロッドのライブアルバムに入っている、フェイセズ時代の名曲『ステイ・ウィズ・ミー』はぜひ聴いてみて欲しい。

18歳の夏を経て19歳の秋を迎えた日のランキングかあ。なんて、ちょっと時間の旅を楽しんだ。ねっ、やっぱり音楽っていいものですな。

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1件のコメント

  1. 僕が住んでた山口県では「ベストヒットUSA」が2か月以上の遅れで放送されていました。
    最新チャートは笑福亭小つるさんと河内理恵さんの山口ローカル番組「テレビビデオマガジン」と
    授業中に回し読む「MUSIC LIFE)しかありませんでした。
    そして電車(当時は汽車)で約1時間あるレンタルレコード「友&愛」や「黎紅堂」で
    リミットいっぱいまで借りて徹夜で録音するのが恒例でした。

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