衰えたとはいえ、テレビはまだまだ威力を持っていたことを目撃した…。
10代のころから世話になっていて、かつ、兄貴と呼べるような存在の料理人がいる。僕の舌を鍛え上げてくれた1人だ。「この料理はよぉ」と、説教臭くなく解説してくれるたびに味の世界の奥深さを習った。その舞台となった大田区蒲田の『カンパーニャ』という、当時としては珍しいイタリアンレストランを閉じた後は、開店当時大きな話題になり、後のイタリアンブームの牽引役にもなった銀座ホテル西洋のレストラン『アトーレ』でスー(セカンド)シェフを務めた。さらにその後、京都のセンチュリーホテルでグランドシェフ(和食を含めたすべてのレストランをみる)に就くという、輝かしい経歴を持つ男だ。僕は原点である『カンパーニャ』での通称、マスターと呼んでいる。
そのマスターが大田区の大鳥居に小さな店『リストロ ジン』を出したのは2010年の夏の終わりだった。京都よりグーンと近くなり、チョクチョク出かけている。大繁盛というわけではないが、いい客が付いているのは見て取れる。リーズナブルな価格で一流ホテルの客たちを唸らせた味が楽しめるのだから、当然のことだ。だが、現在の飲食業を取り巻く環境は厳しいもので、競争相手が大型チェーンの激安たちだから、いくらリーズナブルといって大田区の下町で大繁盛は難しいだろうと素人ながら思っていた。だがまあ、夫婦2人で食っていくには十分だろうと、これまた勝手ながらいつもそう眺めていた。
ちょっと間があいてしまい、申し訳ない気持ちで先日出かけた。するとそれまで見たことの無いような繁昌ぶりで、しかも若い女性だらけのパラダイスになっているではないか。風の噂に、東京ローカルのテレビ番組『出没! アド街ック天国!』で紹介されたことは聞いていた。ランキング形式でその街の名店を紹介する番組で、なんと第5位だとも。するとその翌日から連日のフィーバー(死語)ぶりだそうで、マスターは疲れ果てて頬が落ちていた。ランチもディナータイムも連日の大盛況らしく、行列ができることもあるそうだ。デッカイテーブルを2人で占領していたかつてと違い、初めてのカウンターでのディナーとなったのだ。
「忙しいってもんじゃねぇよ」と、頬が落ちてしまったもののマスターはもちろんうれしそうだ。そして、料理のクオリティはまったく変わらず素晴らしい。加えて店内は若いギャル(死語2)ばかりで、もうなにも言うこと無い。
まだまだテレビも侮れんなとの現象を目の当たりにしたのだった。効果は一過性のものだろうが、それにしてもチャンスである。この若いギャルたちをいかに常連にするか。もちろんそんなことは十分承知のマスターは、味だけでなくサービスのクオリティもキチンと保っている。落ちた頬だけが少し心配だが。兄貴の大活躍がうれしく、この日はつい食い過ぎてしまった。
はじめまして、白井と申します。
先日、大鳥居のリストロ・ジン さんに伺いまして
マスターも お料理も、楽しく美味しかったので ブログに書いたりしました。
なんとなく また、ジンさんのfacebook を見てみようかな・・
とネットを見ていましたら 御誌を拝見しました。
私 昭和40年生れ(女) デス 。
バブル等々 不思議な世代ですね・・。
御誌のご活躍を 心よりお祈り申し上げます。
それでは・・。
ありゃりゃ、不思議なご縁ですね。マスターとは10代の頃よりお付き合いさせてもらっている、大切な兄貴です。いつかお店でお会いできるかもしれませんね。
コメントありがとうございました。