現在は港区の浜松町に事務所を構えているが、以前は同じく港区の赤坂で長いこと営業していた。会社を立ち上げる前にも赤坂のオフィスで働き、古くは小学生のときに夢をかけてのぞんだ『ぎんざNOW!』のお笑いコメディアン道場の予選も赤坂だった。人生において多くの想い出が赤坂の地とともに胸のなかにあり、大好きな街だ。いや、今や大好きな街“だった”に変わってしまいそうである。
初めてこの地に務め出した、修業時代ともいえる20代半ば頃は本当に粋な街だった。風俗店の看板なんか一切見当たらず(秘密のアジトはあったかもしれないが)、パチンコ店はおろかコンビニさえ存在しない、大人の街と形容するのにピッタリの街だった。僕が事務所を構えた頃もまだ粋は残っていて、本当にいいところに決めたといつも胸を張っていた。
当時の赤坂を象徴するひとつに、高級吉野家があったことが挙げられる。1度しか入ってないから記憶は曖昧なのだが、店舗内にカウンターは無くすべてがテープル席で、従業員のお姉さんは着物を着ていた。そして運ばれてきた牛丼には驚愕の蓋付きである。これでたしか700円だった。再び利用することがなかったというのが、僕のこの店に対する評価だろう。現在赤坂の一ツ木通りにある吉野家は、以前はそんな形態で営業していたのだ。
事務所を構えてその後、少しずつ街は変わっていった。赤坂名物だったハイヤーと料亭が日に日に減っていき、変わって浸食してきたのは飲食チェーン店やコンビニだ。聴くところよると、老舗クラブ(行ったことないからね)も次々に店を閉め、外国人が占拠していった。パチンコ店もドンドンと増えて、ドンキホーテもかつての料亭が並んでいた道にドーンと登場した。さらに先日、久しぶりに呑みに行ったときのこと。赤坂見附駅には駅ビルがあり、ベルビー赤坂なる施設が幅を利かせていたのだが、ビックカメラに変わっていることを知った。これがまた街の色を大きく変えた。昭和54年に開業して、赤坂を代表するファッションビルだったがとうとう幕を閉じてしまったのだ。
時代の流れであり、ましてや弱肉強食のビジネスシーンの中でのことだから僕ごときが憂いても仕方ないかもしれないが、それにしてもこれほど短期間で変わってしまった街をあまり知らない。そして少しずつ築いてきた大人の街の風格は、こうもカンタンに消失させてしまうことを知ったのだった。