昨日は『大阪ミナミ秘密基地』を開催し、大盛況のままに終えた。レポートは後日届けさせていただくことにするが、ひとまずここで行なったミニライブについて報告しよう(笑)。
僕にとって大阪は特別な街である。歌で食うことだけを目指していた若かりし頃、憂歌団の存在を知り、関西にはこんなスゲエヤツらがいるんだなと震えた。それと、中2のときに大ヒットしたBOROさんの『大阪で生まれた女』に痺れて、そのまま大ファンとなり、関西に住めばこんなにステキな歌を作れるんだと信じた。僕に大きな影響を与えた2大スターである。その後さらに、上田正樹さん率いるサウス・トウ・サウスのライブ盤に出会ってしまい、僕の関西熱が完全に仕上がった。ニューヨークに住むことを夢見ていた少年にとってその壁は高く、大阪の方がグーンと身近だったこともあり、一念発起したのは昭和60年のこと。夜行列車に乗り込み、梅田の街にたどり着いたのだった。
『大阪で生まれた女』が表現したとおり、灰色の街は活気にあふれていた。そして想像していた以上に、音楽が身近にある環境があった。今は営業していないが、『不思議の国のアリス』というライブハウスに入り浸って、多くのミュージシャンたちと交流しながら音楽活動が始まった。このライブハウスの昼間の営業で、うまくないハンバーグ定食を食いながらあーだこーだと音楽談義の日々を過ごし、上の階にあるスタジオでセッションを楽しみ、曲がたまればこのハコでライブをやる。アマチュアミュージシャンにとってはたまらない環境であり、東京では知らなかった音楽生活を過ごせた。♪青春に心をふるわせた♪充実した日々が流れていき、東京に帰る前日のライブには多くの友達が駆けつけてくれた。その中で「明日東京に帰ります」とひとことだけ挨拶をして『大阪で生まれて女』を演った。心の中でポロポロと涙を流し、あたたかく迎え入れてくれた日々に感謝しながら歌った。
あの日から28年の年月が流れ、あの日と同じギターをつま弾きながら昨日は『大阪で生まれて女』を歌った。編集部の金ちゃんと、『大阪ミナミ秘密基地』で仲良くなったオオサカヤザワさんのサポートを受けて、あの日が蘇るような感覚を味わった。♪青春のかけらを置き忘れた街♪とは、そのまんま僕の大阪での日々のことを綴ったようにも感じた。
28年を経て、今の自分の心で歌えていることに深く酔った。あの日旅立って良かった。そしてそれからも、いろんなことを経験しながら僕はここにいるんだと確認しながら力一杯歌ったのだった。これからももっと懸命に生きていこう。大阪はいつも僕を奮い立たせてくれる街なのだ。
おつかれさまでした!
拾いきれていない青春のかけら、また集めに来てください。
ヨロシク☆