いやあ、昨日は大失敗でした。駄文を書き上げて公開をクリックしたつもりだったが、アップされていないことに朝気が付いた次第。つうことで、『大編集後記その六』は昨日扱だから、今日も元気に大編集後記をいってみよう!
連載企画の『夢、あふれていた俺たちの時代』では、昭和53年を取り上げた。この年の大事件の1つがタイトルどおり、『ザ・ベストテン』の放送開始である。
番組の原型はきっと日曜日のラジオ番組『全日本歌謡選抜』だと思った昭和40年男は多いかもしれない。どこまでも追いかけて中継する感じなんか、電話がつながってしゃべるのとそっくりだななんて。そんな知ったかぶりしながらも、テレビが持つ圧倒的な強さに夢中になる小学6年生(昭和53年の1月放送開始)の冬だった。
お袋と弟と一緒に夢中になりながら、演歌になると親父が身を乗り出す。そう、当時のテレビ番組の多くは家族全員が対象になっていたのだ。次々とランキングされる曲を聴きながら「来週はこの曲がきっと1位になるね」なんて家族みんなで予想しながら、お茶の間は盛り上がるのだった。
そんなわけで、この『ザ・ベストテン』の記事はボリューム感のある6ページで掲載した。TBSで数々のバラエティや歌番組を手がけ『ザ・ベストテン』の企画段階から携わった山田さんから、おもしろい話がたっぷり聞ける重厚な記事構成になっている。書き手は無類のベッテンファンを自称する昭和40年男・濱口さんだ。数々のエピソードは、番組の記憶を蘇らせながらそんな苦労や工夫があったんだと頷くばかり。マンモス番組ってのはやはり、その根拠があるものなのだ。
記事は明日を待っていただくことにして、ひとつ僕が注目したネタを明かそう。執筆を担当した濱口さんが『ザ・ベストテン』の大フリークだったそうで、当時の貴重な記録ノートを公開してくれている。というのも彼、ランキングを毎週ノートに書き写して楽しんでいたそうで、年末になると年間ランキングの予想をしていたとのこと。ハハハ、こうしたノート作りって懐かしいなとフラッシュバックした僕だった。
僕もいろんな資料ノートをつくったものだ。『ザ・ベストテン』は記録していなかったが、ランキングものだと『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』のノートなんてのを作った。そいつをチョクチョク眺めては、音楽雑誌『ミュージックライフ』と照らし合わせるように知識を付けていった。濱口さんと同じようなことをやっていたんだな。ただ、僕はいつの間にかお袋が全部捨てていたという、悲しい結末だが…。
今回はこのノートを公開してくれていて、『ザ・ベストテン』第1回放送のランキングは彼の手書きによっても紹介されている。ちなみに、栄えある第1回の第1位のはピンク・レディーの『UFO』で、「ああ、そうだった」と、今ピンと来たタメ年男たちが多いのではないだろうか。2位が開散宣言していたキャンディーズの『わな』で、どちらかといえば僕はコチラを応援していた。
僕らの音楽への愛を強めてくれた『ザ・ベストテン』の6ページ。乞うご期待ですぞ。