先日もお伝えしたとおり、大阪ビルボードで5月18日に『昭和40年男たちのメロディー』とタイトルされた 河口恭吾さんのライブがある。僕も駆けつける予定にしていて、読者の皆さんもお越しいただけたらうれしい。そしてその翌々週にも大阪でイベントがある。3回目となる「大阪ミナミ秘密基地」の開催だ。過去2回に渡りバカバカしく騒いで盛り上がりはすばらしいものの、イマイチ集客力が弱い。協力してくれている CROSS BEAT Hommach は、きっと赤字だろうけど付き合ってくれているのは、盛り上がりとその楽しい内容が将来につながるとのことからだ。ありがたいが、ここら辺で黒字を出したいので、関西エリアの読者の皆さんのスケジュールを抑えさせていただく。さあ、今すぐ手帳を広げて 6月1日 午後6時~明朝、「大阪ミナミ秘密基地」と書き込んでくれ。早く帰らなければならないよいこの皆さんは、もちろん朝まで付き合わなくてよい。予定では9時までで、その後は割り勘のグタグダの二次回だからどうぞご自由に。ただ、午後6~9時までは、ともに大騒ぎしよう。
ありがたいことに、大阪との付き合いが19歳のときから続いている。高校を卒業して1年を経た春、ギターを担いで東京発大垣行きの夜行列車に乗り込んだ。親元を離れる旅立ちとなる風情をまったく感じさせない、通勤客でごった返す列車だった。神奈川に入ると少しずつ空いてきて、たしか出発から1時間くらいで座れたんじゃなかったかな。鈍行を乗り継いで大阪に着いたあの日から、僕と大阪の付き合いが始まったのだ。
なぜ大阪に住むことにしたのかはいろんな要素が絡み合ってのこと。その一つに高校時代に「大阪で生まれた女」や「悲しい色やね」をバンドでカバーして歌い込んだことがある。自分の歌に仕上げていくことは、そのまま自分の中にイメージ画像が作られていく。報道などで見る画像と合わさってドンドンリアルなイメージに錯覚していき、知らない街でないような不思議な感覚を持った。BOROさんが表現した「灰色の街」との表現や、いくつもの川が流れるとの上田正樹さんの言葉で、僕の中の大阪が完全にイメージされたのだった。憧れのパラダイスでは決してなかったが、そのイメージは自分とフィットして、やがてここに住んでみたいと思うようになった。
想い描いていた以上に活気にあふれる街で、たくさんの仲間との貴重な時間を得た。だがまだ携帯の無い時代であり、東京に帰ってきて直後に結婚してしまったせいで、ほとんどの仲間と音信不通になってしまったのが残念でならない。このご時世だから、いつかつながるかもしれないが、もしもこの「大阪ミナミ秘密基地」で再会できたらうれしいなあ。「アキやん (大阪時代のニックネーム) 、がんばっとるやん」ってか。
幸いなことに東京と関西を行ったり来たりする人生に恵まれた。かつて関西のライブハウスで歌っていた時は、いつかデッカいツアーで戻ってくるぞなんて思っていたが、2つのスペースに『昭和40年男』の文字が踊るというカタチでライブが展開できるのもこれまた人生である。6月の「大阪秘密基地」では「大阪で生まれた女」でも弾き語りするかな。