今日はここ数日楽しみにしていた吉川晃司さんのインタビューに出かけてきた。久しぶりにニューアルバムを出すタイミングであり、今年の大河ドラマでは西郷どんを演じていて、最近露出が多くなっているところであり、タメ年雑誌としては黙っていられず取材を申し込み、快諾が得られたのだ。次号の『荒海に生きるタメ年男』に登場するぞ、パチパチ。
長い取材時間を要求する『昭和40年男』だから、超過密スケジュールが続いている中で調整は難航したようだ。やっと実現となった今日も、ウチのインタビュー対応から夜までビッシリと埋まっているとのことだったが、疲れは見せずに丁寧に対応してくれた。感謝である。
吉川さんに持っている僕のイメージは、出てきた当時は正直にいえばほとんど無視だった。華々しいデビューだった『モニカ』やセカンドシングル『サヨナラは8月のララバイ』の雰囲気が好きになれず、女の子のためのアイドルなんだろという烙印を押したのだった。当時にタメ年だと知っていればもう少しイメージは違っただろうが、歳上の色男ががんばってアイドルを目指しているのだととらえていた。上條淳士さんが少年サンデーに連載した『TO-Y』で、主人公のライバルでありちょっぴりギャグキャラの哀川陽司が吉川さんをモデルにしていて、本人までも滑稽に見てしまうことがあったりもした。
ちょっぴり見直したのが、デビューから1年ちょっと経て出た『RAIN-DANCEがきこえる』だ。このカッチョよさは好みであり、『TO-Y』の中の哀川陽司も次第にギャグキャラでなくなっていった。さらにこの年の暮れの紅白歌合戦での大暴れはすばらしく、それまでのイメージを払拭した。彼は色男ゆえ、無理矢理アイドルにされたのだと想像させられたパフォーマンスぶりだった。皆さんは記憶しているだろうか? 白組のトップバッターとして真っ赤な衣装で登場し『にくまれそうなNEWフェイス』をぶちかまして、エンディングを引っ張りまくり次曲の演奏が始まってもステージから降りない問題児だったのだ。『紅白歌合戦』なんか糞喰らえと言いたい若者の代弁者として出場したのだろうと、僕は勝手な解釈をした。とにかく痛快このうえないシーンで、あっぱれな男なんだと感じたのだった。その後、『すべてはこの夜に』や『終わらないサンセット』など、大好きな曲を連発していき、CDを買ってライブを観に行く存在とまではならなかったものの、好感をもって受け入れた。さらに布袋さんと組んだCOMPLEXの存在が決定打となり、デビュー当初のイメージは完全に払拭されたのだった。
『昭和40年男』を作る段階になって、タメ年の著名人を調べたときに吉川さんがタメ年だと知った。ならばいつか取材したいと思い描いてきて、今回実現になったということだ。今日はいい話がたくさん聞けて紹介したいところだが、詳しく触れるのは控えて発行を待っていただくことにしよう。ただ、伝えておきたいことは、彼は一昨年3月の震災後にすぐに被災地に入り、何日もがれき処理を手伝っている。報道されることを嫌い、自分の名を隠してひたすら汗を流した。現地に無理をかけてセッティングさせた舞台でさあどうぞと歌う、復興支援と言いながら自身のパフォーマンス重視でやっていたシンガーもいる中で、彼はただ1人の人間としてできることに没頭したのだ。この清々しさが彼なのだ。さらにCOMPLEXを再結成させて2日間のドーム公演を行い、収益金を被災地へ寄付している。これ以外にもあの日以来の彼は、常に被災地の明日を考えて行動しているのだ。今年の大河ドラマ『八重の桜』への出演は、福島復興がテーマだからと、発売の迫ったニューアルバムの制作と撮影がかぶる激務を承知のうえで引き受けたそうだ。タメ年の男がこうまで踏ん張るのは、なんともうれしいじゃないか。自身のできることを、日本の将来のために踏ん張るのは、僕ら昭和40年男だったら共通の行動にしたい。大いに見習おうじゃないか。
そうですね5枚目まではnobodyでしたね。
モニカ
サヨナラは八月のララバイ
ラ・ヴィアンローズ
You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜
にくまれそうなNEWフェイス
アンルイスさんのLUV-YAもそうで
全部コピーしました。
僕が高校生の時組んでたバンドの名前が「MaMa」でした
吉川晃司さんのバックバンドが「PaPa」だったからです。
「パラシュートが落ちた夏が」最後の曲でした。
影響があったということですね。吉川さんのキーワードのひとつにNOBODYってのもありますよね。とくにアン・ルイスさんへ提供した楽曲は好きでした。吉川さんだと『にくまれそうなNEWフェイス』ですよね。