このブログと本誌の連動企画『3番勝負』を、細々とだがvol.1号で出題して以来続けてきた。それでは今回の『和製ロック対決』について出題者の僕の解説&私見を述べさせていただこう。
キャロルといったら、こわいお兄さん方がこぞって好む音楽だと捉え、興味がそそられなかった。暴走族全盛時代にあって、東京都荒川区はその活動拠点の1つだったようで、キャロルは神のように崇められていたのだ。それが誤解の元になってしまったのだが、日本のロックシーンにおいて極めて重要な存在だったことは、後に知る無知ぶりだった。
ロカビリーからグループサウンズへと流れ着いた日本の音楽シーンだったが、70年初頭にはGSブームはすっかり沈静化した。そこに入れ替わりのように昭和47年にデビューして50年まで、キャロルらのようなロックの先駆者たちが多く現れた。その中にあって、わかりやすいメロディと歌詞で若者の心をがっちりと掴んだ。ぶれないスタイルもキャロルを深く理解するのには大きな要素となったのだ。
矢沢永吉さんという、永遠のジャパンロックスターがここから生まれたことにも大きな意味がある。昭和40年男にとって永ちゃんとの出会いは、先輩や兄貴によってもたされたかキャロルからか、ソロになってから少しの時間を経た昭和53年の大ヒット曲『時間よ止まれ』のいずれかではないか。兄貴のいない僕は完全に後者で、キャロルの曲は後にギター入門の課題曲で仕入れた『ファンキー・モンキー・ベイビー』が出会いだった。格好の教材でベンチャーズのように扱うという非礼をしたのが中1の冬だった。
一方の、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはお茶の間の人気者だった。『スモーキン・ブギ』や『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』などのヒットチューンは、コミカルに捉えた小学生時代の僕で、キャロル同様にバンドに対して失礼な評価だったといえる。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』のリリースが昭和50年の春で、同じ時期にキャロルはその活動に幕を閉じている。後に百花繚乱のごとく花開く日本のロックシーンの礎を築いた2バンドであり、またこの流れとなったのは必然だったといえるだろう。ちょいとそれるが『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』のヒットで、横浜とはどんなパラダイスなのだろうとの想像のままに、仲良し3人組で出かけて迷子になり、交番に駆け込むという醜態をさらしたことがあった。小学4年生の大冒険だった。
やがて『サクセス』でそのカッチョよさを知り、決定的に惚れたのは『身も心も』だった。今もしょっちゅうカラオケで歌う。情景と大人の男女の心がヒシヒシと伝わってくるこの曲。最後のサビで「身も心も」と繰り返すところは何度聴いてもグッとくる。もしも『日本の名曲100選』などとの企画を立ち上げたら、必ず入れる1曲だ。
さて、皆さんが支持するのはどっち?