本来なら昨日のこのコーナーであげなければいけなかったね。
本が届いた感動を伝えたくて、でもね、コッチも感動だったのですよ。
というわけで、一昨日行なわれた浅草秘密基地の模様をお送りしま〜す。
これまでの純粋なる来場者は、8回開催して3名と苦戦が続いている。
ただ、継続の力と目的の正しさを信じて、続行することを決定した。
ここで酒を呑みながらホンのわずかでも明日への元気となればいいなと。
もしかしてビジネスが始まったりしたらおもしろいし、
趣味を通じて遊び仲間になれてもいい。
雑誌の持つお互いの想い出と夢を共有して、楽しい時間を過ごしたい。
きっとそんな会になると信じているが、これまで3人…。
6月に入って一発目のパーティは、
いつも通り編集の金子が先に呑みはじめていた。
「お疲れさまでした」
そう、先日まで迫り来る〆切という時間の波状攻撃に立ち向かい、
ともに闘った戦友である。
「明日には編集部に本が届く、ウソみたいだね」
この男、様々なところで執筆しているフリーランスであるが、
今回から熱い意志を持ち編集部員として参加してくれた。
「じゃあ明日、取りに行きます」
送ったら1日かかる、それよりも一刻も早く見たいと。
協力してくれた方々に届けたいと。
こんな所に本気の熱を感じる(泣)。
もう1人、今回から関わってくれているカメラマン林(巻頭でボクサーの写真を撮っている、必見)も取りに来ると言う。
幸せ者である。
こんなネジの外れたヤツらと仕事ができ、
その熱のこもったものを堂々と読者さんに送り込めるのだから。
おっと話が完全にそれた。
そしてやがて副編小笠原も登場して、いつもの仲良しトリオになった。
このまま終了時間となる11時まで3人で過ごすことが実に多い、
浅草秘密基地なのさ。
だがこの日は違っていた。
大阪からの出張を利用しての小倉さんと、
地元がオフィスである足立さんが8時を少しまわったところで来てくれた。
続いて、本誌のライティング(今回は特集内の小学生の夏休み担当)を
手伝ってくれているライターの斎藤さん、
俺のかつてのバンド仲間であるタクロウと、
さらにさらに、先週も来てくれ盛り上がった伊藤さんも2回目の参加だ。
伊藤さんはこの日、レギュラーが決定した(笑)。
いやあ、楽しかったよ。
まだ発売してないにもかかわらず、もう俺の頭は次号にいっていて
「さあ、次号の企画を出してください」と。
主にこんな話題で盛り上がったのだった。
まずはドロケイ。
2号から連載の始まった連載『10分休み』で取り上げようとしているのだが、
これどう言います?
俺の地元では「悪漢探偵(あっかんたんてい)」だったのです。
今回は大阪で生まれ育った小倉さんがいるから、
東西の差を探しながらの会話だ。
アメフトのヘルメット関連グッズはどうやら関東圏文化のようだと判明した。
ただし、東京ボンバーズの話は互いに盛り上がる。
うーん、この辺は今後の編集でも考えながら作り込もう。
大阪の例の粉文化(小麦粉)についても、大盛り上がりだ。
やはり東の人間には抵抗のある、粉定食については
アウェイの小倉さんは防戦一方だった。
「もんじゃは月島のものじゃない、荒川じゃー」
と叫びまくる俺との粉談義は、かなりの時間を費やしたが
なにも収穫はなかったといえよう(笑)。
スネークマンショー、モデルガン、誰カバ、8時だよ全員集合、等々
次々とテーマが出てきて、大爆笑が絶えない。
電線マンをゲストに呼んで、次号の表紙にしようという
大変すばらしいアイデアも出たのであった。
バカ騒ぎだけでなくキチンと向き合ったのが、
今回本誌でも取り上げた戦争の問題だ。
ただ単純にタブー視するのではなく、
昭和40年男なりに付き合っていかなければならない。
次世代へのブリッジ役を務めなければとのコンセンサスを得たのだった。
もうひとつうれしかったのは“社会の中間管理職”という、
次号でもこのブログでも書いたことについて話し合えたこと。
「もう一段階がんばりましょう。踏ん張らないと日本がダメになる」
うんうん、互いの使命感を再確認しあったのだった。
こうしたポジティブな夜になることは、理想のひとつであり目的でもある。
ただ、前向きな話題ばかりじゃなくてもいいのだと思っている。
悩みや苦しみだって、同世代だから痛いほどわかる。
解決のせめて糸口くらい見つかれば、これもまた価値ある時間の共有になるはずだ。
そんな浅草秘密基地は、毎週月曜日、あなたの来店を待っています。
来週は3号の発売直後になる。
感想やアイデアを持って、たくさん来てもらえるとうれしいな。
みんなでつくろう「昭和40年男」だー!!