昨日書いた”新店”ができる以前の話だ。
区役所にある公園(そのまんま区役所公園と呼んでいた)で遊んでいると、
カンカンという音とともにものすごく汚くて小さい婆さんが引く屋台が近づいてくる。
その音を聞くと、子供たちは遊びを中断してその屋台へと向かう。
「カンカン婆が来たーっ」と。
屋台には子供にとって魅力的な食べ物がわんさか積んである。
水飴やミカンジャム、ソースせんべいなどの定番に
焼きそばや玉と呼んでいた変化球ものまでさまざまだ。
焼きそばは、蒸したそばにキャベツと揚げ玉、ソースをかけたもの。
”玉”は最中の皮に揚げ玉を盛ってソースをかけたものだ。
誰が見ても不衛生に見えるであろうルックスで、
ほとんどの子供たちは親から購入を禁止されていた。
が、子供たちにとっては宝の山であり、そんな言いつけをまもるはずがない。
そしてこの婆さんが典型的な下町チャキチャキ系で、とにかくすぐ怒る。
でも大声でよく笑う。
怖いけど親しみのある存在だった。
ここでも男たちはギャンブルに走る。
型抜きと寒天だ。
型抜きはご存知の方も多いことだろう。
ピンクの板に薄く刻まれた絵にそって割り、その絵を完成させるというもの。
寒天はミルクせんべいに薄く切った赤い寒天がのせてあるものが出され、
これを細いストローで吸いながら、婆さんが出題した絵を描くというものだった。
絵心のない俺には型抜きでないと勝負にならなかった。
両方とも婆さんのジャッジで判定され、食べ物に交換される。
もっとも低い評価がミカンジャムだった。
「残念賞ミカンジャム」という言葉は、
俺が通う小学校では日常普通に使われる言葉だった。
紙芝居の発展形なのだろうか?
地域差もあるだろうけど、俺たちの時代は紙芝居がほとんど来なかった。
幼少のころ、極々たまに来たときはすごくうれしかった記憶がある。
でもね、カンカン婆の想い出を人に話すと
ほとんどそんなのなかったと言われるのだが、みなさんいかがでした?
ちなみにあのころだと、豆腐屋さんもチャリンコで笛を吹いて走っていた。
魚屋さんも屋台で移動していた。
店舗を構えるのは今も昔も大変だったのだ。
でも今ほどうるさくないから
とりあえず屋台を引いちまえってことだったのだろうか?
俺に記憶の中にある、美しい昭和の風景だ。
こんにちは。
うちのほうでは、「型抜き」と確か「型」と呼んでいた様に思うのですが、素焼きの手のひら大の型に粘土を押し込んでお面のようなものを作り、それに顔料の粉をかけて彩色して採点してもらうというのでした。型押しされた粘土に彩色だけをするのと、型を買い取って参加というのがあったように記憶しています。屋台じゃなくて自転車で来て、たまに紙芝居だったような気もするのですが、怖そうなおっちゃんに採点してもらうとか意味不明じゃんと近寄らなかった…(と日記には書いておいたはずですが、ホントはお小遣いが少なかったのよっ(^_^;))
おお、それ知りませんよ。すごく小さなコミュニティごとにあるんだろうな、こういうの。ああいう大人たちの理不尽な採点に、文句言いながら従うカワイイ俺たちでしたよね。