僕ら昭和40年男が成人式を迎えたのは、1学年先輩に当たる早生まれの方々を除いて昭和61年の1月15日だったはずだ。地方差は若干あるのかもしれないが、その多くが27年前の今日に成人を迎えた。式当日の朝方まで呑んでいた二日酔い野郎にはまぶし過ぎる晴天に恵まれ、頭が割れそうなほど痛かったが、小中学生時代の仲間との再会のために這うように会場へと出かけた。女子はみんなキレイな“女”になっていて、ましてや振り袖姿だから晴天以上にもうまぶしくてまぶしくて。男子はほとんどがローンを組んで購入したDCブランドのスーツに身を包んでいたっけ。「北さんのどこのスーツ?」なんて胸に入ったブランドを見せ合っていたのは、大ブームがゆえの昭和61年ならでは。全体的にたっぷりとしたラインのスーツが多くて、今思えばなんともカッチョ悪い集団で、とはいえ僕もたっぷりしたスーツを決めて会場入りしたのが昨日のことのようだ。思えばあれから小中学生時代の仲間たちと一度も集まっていない。みなさんはいかがだろうか?
式が終わると中学時代の仲間たちと数十人で呑みに出かけた。荒川区のガキどもはあまり都会が得意でなく、上野の居酒屋に繰り出したのだった。みんなそろそろ自分の酒量はわかってきたものの、懐かしさによる盛り上がりは止められるはずがなく、1人また1人とつぶれていく集団はずいぶんと街を汚した。最後まで残ったのが誰だったのか記憶はさだかでないが、自分が散開まで踏ん張ったことだけは記憶している。
人生ってヤツを語り合った気がする。まだどいつもこいつもその入口を見ていただけに過ぎないが、いっぱしに語り合っていた。仕事に就いているものが多かったから、なおさらそんな会話になったのだろう。景気はバブルへ向かって加速の時代で、でもその恩恵はあまりわかっていない昭和40年男たちだった。とはいえ、ずっとよくなっていくことが前提のような気分の新成人だったはず。昨日は全国各地で成人式が行なわれ、僕らのときとは社会への期待感は異なるだろうことに、なんとも申し訳なさを感じてしまった。「失われた20年に育った成人たち」なんてキャッチコピーを報道番組から投げつけられた彼らだが、そんな大人たちよりずっと逞しく感じさせてくれた。人生の選択を自分自身の意思で決めていこうとする行動は、我々世代の当時より自覚があるように思える。今後の日本を背負っていく彼らと、まだまだ邁進させていかなければならない我々は積極的に絡んでいくべきだろう。煙たがられても熱は伝えていきたいものである。
成人式・・・会場が浅草公会堂だったのは覚えてます。
あと、中学の同級生が子連れで現れたのにびっくりしたこと(笑)
はじめまして山と申します。本日貴誌の存在を知り早速アマゾンさんに注文しました^^
まだ内容に触れておりませんが、今後が楽しみです。
「東京オリンピックを知らない初代、にもかかわらず、高度経済成長時代の恩恵を最も豊富に受けた”新人類”」・・と自覚してます。
メディア、物資とも実に膨大な量かつ変化に富んだ平和な時代に生まれ育ち、現在中年を迎えている我々世代が行き着く先とは?
己のことながら興味がつきません^^