まずは一昨日土曜日にイベントに参加いただいたみなさん、
ホントにありがとうございました。
整理して本ブログや次号で紹介したいと思います。
さて昨日、ある人物のライヴ(?)を見てきた。
創刊号で取材させてもらった三味線奏者塚原が出る演奏会だ。
(高校時代の同級生だから呼び捨てです)
長唄というカテゴリーになる彼の世界を、久しぶりにじっくりとのぞいてきた。
生で聞くのは今回で3回目である。
今回の演奏会はいくつもの新作が発表される場である。
長唄というカテゴリーは歌舞伎にとってのサントラだと教えてもらった。
歌舞伎と同じだけの長い時の流れを経て、今に受け継いでいるのだ。
そこに現代を生きる者たちが新しい風を吹き込む。
伝統ある世界というのは常にこうして革新を吹き込んでいくから
いつの時代も支持されていくのだろう。
言葉にすると簡単だが、それは相当な努力や苦悩があることだろう。
歌舞伎もしかり、落語もしかりだ。
革新的なものには、その時代だけからしか支持されなかったものもあっただろう。
時代時代で関わった人間たちが、本気の試行錯誤を繰り返してきたのだ。
なんだが仰々しい前フリになったが、
そんな世界にいるヤツが誇らしかったりもする(本人には絶対言わないが)。
出番は2曲でひとつは彼のオリジナルである。
大きい小さいは別にして、まさに伝統と革新がせめぎ合う革新の部分を
ヤツがになった楽曲ということになる。
ワクワクしながら演奏を聴いていた。
“和の世界”っていいなあ。
なんだか自分の中の日本人が自然と騒ぎ出しているよう。
思想とか歴史とかじゃないところの、受け継がれてきた感性のようなものかな。
やがて出番がやってきた。
掃除の当番でほうきを振り回しながら
スティーヴン・タイラーだといっていたヤツとは思えない、凛々しい姿がちょっと笑える。
この曲、まず詞にビックリさせられた。
ペガサスだの、カーテンだのカタカナバシバシなのである。
読み進めてもわかりやすく、J-POPとまではいかないまでも
ちょっと個性的なシンガーだったら取り上げられそうな言葉でつづられている。
そこにヤツが付けた曲も、現代のエッセンスがちりばめられて、
でもしっかりと邦楽していてとてもおもしろいというのが感想だ。
長唄に精通しているわけでないので的確な表現が見つからないが、とにかくおもしろい。
プログラムにヤツのコメントが出ていた。
「日本の空ではなく、どことなく中東の雰囲気で、とのことでしたので、
和の音階だけでなく、異なった音を入れて工夫してみました」
うんうん、なるほどなあ。
そして次の出番はこの日の最終曲で21人が舞台にズラリと並んだ。
塚原はリード三味線(?)を務めた。
うん、カッコイイぞ。
曲のフィナーレは唄全員が歌い上げた後、
感動的なメロディを楽器全員で奏でるというカタチで幕を閉じた。
些細な経験ながら、長唄の世界でこうした盛り上がりというのは始めてだった。
いいねぇ、いいねぇ。
ヤツの活躍と邦楽の奥深さでお腹いっぱいにして、
ニコニコ顔でオフィスへと戻る俺だったのさ。
あっ、そうだ。
今日は浅草秘密基地だ。
(なんてワザとらしく言ってみる)
みんなみんな来てね。