平成25年の勝負がいよいよ明日から始まる。全国の書店とコンビニで、皆さんとの再開を楽しみにしているぞ。てなわけでPRを兼ねて紹介させていただこう。
昨日も取り上げた『夢、あふれていた俺たちの時代』では、昭和56年を特集している。この年に大ヒットした『ルビーの指環』を知らない昭和40年男はいないだろう。もしかしたら誰もが口ずさめるのではないだろうか。『ザ・ベストテン』で12週連続の1位に、オリコンでも10週連続と社会現象と呼ぶにふさわしいヒットで、この年のレコード大賞を受賞した。アルバムセールスもすさまじく、さらにヒットに引っ張られるカタチで先に発売されていた『SHADOW CITY』と『出航 SASURAI』がランクインしたのも、きっとみなさんはしっかりと記憶していることだろう。
だが疑問がいくつか残る。1つは突如としてチャートを席巻した寺尾 聰さんだったが、なぜ初っ端から『ルビーの指環』で勝負に出なかったのか? さらにその後ヒットが出ていないのはなぜ? ここをズバリと答えてくれたのが、当時寺尾さんが所属した東芝EMIの制作課長であり、後にファンハウス、ドリーミュージックを設立する新田和長氏である。業界に名を轟かしている大物であり、だがそんなそぶりはまったく見せない方で、肩書きや功績を知らなくても話を聞いていれば尊敬してしまう大人物だった。『昭和40年男』の取材現場ではしばしばあることで、すげえ仕事をした人のオーラとか言葉はそれだけでコチラを圧倒する。おっと、それてしまった。寺尾さんのメガヒットの裏側に「?」があるのなら、最新号は必見ですぞ。
その意味では放送作家の大岩賞介氏もまったく一緒で、『オレたちひょうきん族』の立ち上げから関わった人物である。『8時だヨ!全員集合』の裏で、破竹の勢いで上り詰めていき、ついには逆転した現象は昭和40年男にとってひとつの事件だっただろう。あの奇跡が起こった背景をズバリと語っているから、どちらのファンにも必見である。
この方も大物であることを微塵も見せない。今のテレビに大いなる危機感を持ちながら奮闘なさっている方だ。そして『昭和40年男』の、前例やマーケティングのない手法(ってほどじゃないが)を本気で褒めてくださり、インタビューに同行した僕は思わず目がウルウルしてしまった。大岩さんがそうおっしゃってくれるのなら『ひょうきん族』くらいの大ヒットを目指していいなと、勝手な解釈で元気になった僕だ。
リアルタイムであの奇跡を目撃した僕らにとって必見の番組誕生秘話だ。そして現在への提言も盛り込まれて読み応えのあるページになっているから、ぜひ熱く燃えてほしい。