江戸の老舗蕎麦屋にて。

更科布屋会社がある芝大門の、いや、江戸の蕎麦屋を代表する名店『更科布屋』によく出かける。江戸の伝統的な蕎麦は3系統あって、薮、砂場、そしてここ更科系である。江戸の伝統とのれんを守りながら、新しい試みを加えて発展してきた店が都内にはけっこうあり、ここはその1つだ。蕎麦好きの親父は「お前が大きくなったら更科の蕎麦を食わしてやる」と、7歳で亡くなってしまった父親の言葉を楽しみにしていたそうで、僕を初めて更科(永楽だったが)に連れていってくれたときは、誇らしげにその話をしていた。新蕎麦の知らせが壁に貼られ、やがて鴨南蛮や牡蠣蕎麦などがメニューに踊る秋から冬は、まさに蕎麦の季節だ。12月はとくに世話になる日が多くなる。

ここに限ったことなく、蕎麦屋に入っていつも思うのは客の平均年齢の高さだ。もし平均年齢を算出したら50歳は軽く超えるのではないだろうか。相撲や笑点の観客席ほどでないにしろ、かなり高く感じられる。いまラーメンチェーンを展開している方々は、年々進行する少子高齢化にそなえて蕎麦屋に転換すべきなのか。いやいや、そうはカンタンに片付けられないな。

成長過程の味覚経験は、その後に大きく影響する。僕らも食卓の変化が劇的な時代に幼少期から青年へと育ったわけで、洋食がガンガン食卓に入ってきたころに成長した。カレーにスパゲッティ、ハンバーグが大好きで、さんまの塩焼きはあまりうれしくない。それでも食卓にちょくちょく登場した魚は、僕らの幼少期だって減少傾向だったのに、それから現在まで消費量は減る一方である。魚だけがよい味覚経験とはいわないが、全体として今より味覚力を強いられる献立が多かった。僕らの幼少期には高嶺の花だったハンバーガーを、幼少から普通に食べられた世代はほんの少し下の世代から始まる。外食がイベントだった僕らと違い、これまた下の世代は日常的にファミレスに行っていた者が多い。外食は当然ながらうまくなければ客に選ばれないわけだ。うまい=油や濃い味付けというのは、実は数ある方程式のなかのあまりよろしくない1つであり、外食が増えれば増えるほど強い味に慣れきってしまうことがある。

寿司を例にするとわかりやすいかもしれない。チェーン展開のところや持ち帰りのもので、シャリの味がかなり強く感じたことはないだろうか。以前、寿司屋の親父さんが嘆いていたのは、最近客に酢が弱いと言われることが増えたとのこと。これは、激安寿司が客を呼ぶために舌への刺激を強くするという工夫なのだ。シャリに塩、砂糖、酢をそれぞれ増量して合わせ、そのうえでバランスをとるから際立つのは酢の味になる。比べて、伝統的な寿司屋はネタとのバランスを考えてシャリを合わせるから、シャリを出しゃばらせないようにする。すると酢が弱いととられてしまうのだ。

日本人の今後の味覚に大きな影響を残す過渡期だろう。200年以上続いているこの蕎麦屋は、もっともドラスティックな舌の変化とこれからどう対峙していくのだろうか。うまいつゆをいただきながら、変わらないでほしいと願うのだった。

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