昨日は連載企画『荒海に生きるタメ年男。』の取材に同行した。ゲームクリエイターであり、2年前に独立した会社も順調にいっているという稲船さんに話を聞いた。自分自身にとっても参考になる話をたくさんうかがえて、大満足のインタビューだった。内容は本誌を楽しみにしていただくことにして、ひとつ強烈なコンセンサスとなった部分を皆さんとも共有したい。
こういった取材のときは冒頭に、この本をどんな気持ちでつくっているかを説明させていただく。
「僕は昭和40年に生まれたことを幸せに思っているんです」とは、ほぼ確実に伝えるセリフだ。昭和40年生まれでなくとも、自分の育った時代や環境に胸を張る世代は多いだろうが、当然のことながら自分以外の生まれ年はわからない。前後2~3歳くらいは理解できるが、1つ遠くなればその分だけわからなくなっていくのは仕方ないことだ。昨日のインタビューでも稲船さんから出た言葉で、38年から42年くらいが共有できる世代だとの話になった。そして彼いわく、アナログとデジタルの狭間にいる世代であると。アナログのよさを知り尽くしていて、デジタルの恩恵も享受しながら生きてきた僕らだ。5歳上になるとデジタルについていくのが厳しくなり、下にいけばいくほどアナログのよさに理解を示さなくなる。デジタル嫌いの自分のことは放っておいて、たしかにその通りだとほとんどの昭和40年男は頷くだろう。逆手にとって、デジタルネイティブで僕はよかったと若い世代のヤツらも元気に胸を張ればよろしいが、僕らは僕らでそんな主張は放っておけばいい。くどいが僕らは僕らの時代しか知らないのだから。
デジタルとアナログがグチャグチャと混じり合いながら、世の中が劇的に変化していき、そこに絡んだソフトがまたおもしろかった。最新号でテクノのページを組んだせいで、サブカルについて考える機会が増え、ここにはデジタルとアナログのグラデーションも大いに関与していることを再確認したのだった。コンピュータミュージックが台頭してくるのもサブカルなら、そのサウンドとは真逆にも感じるライブ主体のロッカーたちもサブカルだった。たとえばYMOとRCであって、先日はこんな記事でもサブカルについてふれた。半年くらいかけて企画にまとめようと思っているが、サブカルが光り輝いていた時期に何歳だったかは、その後の感性にものすごく大きな影響を与えたはずだ。昭和40年男は中高生でふれたのだから「幸せ」だと宣言するのは妥当だなとみんなで胸を張ろう。