次号の制作が佳境に入っている。連載企画の『夢、あふれていた俺たちの時代』は、昭和56年をピックアップして、今日はその取材が2発あるのだ。
多くの昭和40年男たちは、中学を卒業して高校に入学した年だ。入学式の日がまるで昨日のようであり、また懐かしき遠い日のようである。僕はそれまで東京都の下町で、しかも狭いエリアの中にいるヤツらと学んでいたのが、初めて外の人間とふれあい驚きの連続の日々を過ごした。
僕らの頃の都立高校は群制度というシステムで、いくつかの高校のグループを受験し、どこに振り分けられるかは神のみぞ知るといったスリル満点なものだった。僕が振り分けられた高校は、これまたエリアごとにグループ化されていた学区というヤツが2つ混じり合った学校だった。僕の学区は足立、台東、荒川区という、下町不良連合で、一方一緒になった連中は、品川、大田、新宿区の山の手の連中だった。この6区から集まったガキどもが異文化交流のごとく教室に詰め込まれたのだ。向こうはやはりおしゃれで、新宿はもちろん渋谷や六本木なんかを遊びのエリアにしている者もいた。対する不良連合はせいぜい上野や浅草であり、感度に決定的な違いがあった。サブカルの風はおもに彼らが運んできては、僕を驚かせたのだった。端的な例として、ヤツらはもんじゃを食ったことがなく、連れて行ったらこんな気持ち悪いもの人間の食い物じゃねえとぬかす男がいたほどだ。ただ、下町どっぷりで育った僕にはこの異文化交流は大いに役立った。とくに音楽的な部分では、コッチはハードロック一辺倒だったのに対し、おしゃれなのから渋いのまで実に様々なジャンルを好んでいる連中が多数いて、次々と吹き込んでくれたのだった。
恋愛がリアルになったのも高校からだった。中学時代に男女が付き合うなんてのは所詮ママゴトだったが、世界は一変した。俺はあの子に告白すると堂々と宣言するヤツが多く、成功すると公然とつき合い、しかも男女の関係を次々に成立させていった。大人の階段は、人生において高校時代の3年間がもっとも急坂だろう。その入り口の年だったのだ。昨日のように感じさせるのはそのせいなのかもしれない。中3の距離よりグーンと近くなる気がする。
企画を進行させるためにこの年の出来事をさらっていると、そのひとつでポートピアにたどり着き『浅草秘密基地』で話題にしたらなんとパンフレットを持つ者がいて、企画協力として貸してくれた。ゴダイゴの曲くらいの想い出しかなかった僕と違い、みんな興味は強かったとのことで、こうした情報収集に『浅草秘密基地』はおいに役立つ。『オレたちひょうきん族』が始まった年であり、ドリフの笑いからのバトンタッチがされた寂しい気分を味わったなあ。なんて企画が次号で数多く展開される。きっと皆さんにとってももっとも甘酸っぱかった時期だろうから、想い出を引っ張り出しながら楽しんでいただけることだろう。乞うご期待ですぞ。