昨日は昭和40年男バンドが中心となったバンド『ボーダーライン』のライブに便乗するカタチで、コラボイベントを開催した。こうしたラフなお誘いにも日程や内容さえ問題なければ、極力乗っかっていきたい。昭和40年男たちの様々な共感を生んでいくのが、編集長としての大きな任務であると自分に課しているからだ。
ならどう乗るかということになり、今回は僕の弾き語りライブとささやかだがプレゼントを用意してジャンケン大会を開催した。ささやかとはしたが、今やまぼろしとなっている『創刊号』を出したのは盛り上がった。じつはわずかながら個人的なストックがあり、昨日は特別に放出したのだ。見事にタメ年男が射止めたのだった。
そしてライブなのだが、僕は7曲のメニューで臨んだ。ずいぶん以前に組み、仕事の合間をぬってアーでもないコーでもないと様々な工夫を盛り込んだつもりだったが、実際の出来映えとしては50点というところで終ってしまった。言い訳はいろいろとできるが、もっとも反省すべきはライブ形式では初めてとなった弾き語りをなめていたことに尽きる。普段バーで歌っているのとは重みが違った。いや、どんな場面でも懸命に歌っているつもりで、バーのお客さんに対してだってそれは一緒だ。だが、あたり前だがライブ形式であるからお客さんの耳が完全にコチラに向く。焦って応えようとするテンションが空回りしてしまったのだ。7曲程度の短いセットだとそのスイッチがキチンと入らないままに終ってしまい、アンコールをいただいたがそのままに流れた。せっかく集中して聴いてくださったのに、コッチがガタガタしてしまい申し訳ない気分一杯でベッドに入ったのだった。
だが今回のライブは自分にとっては大きな収穫があった。まず書き下ろしの新曲をキチンと仕上げたこと。書き上がった『ワンコイン』なる曲に紡いだ言葉は、47歳に至った自分でしか書けない、長い時間を生きてきたからこその世界となった。加えて、たった1人でやるということで、自分の音楽の原点みたいなものを出そうと考え、自分と音楽の関係を改めて考えさせられたこと。ストーンズやRCに出会い、そのルーツミュージックをドンドン掘り下げていったことが、今にいたっても変わらない原点である。そのRCの『雨上がりの夜空に』は、歌うということにおいてたくさんのことを教えてくれた。日本語をカッコいいリズムでロックにするのは、この曲をマスターすることなんだと自分なりの発見をして、何度も何度も歌い込んだ。当時の懸命な気持ちを思いおこしながら、ブルースっぽくアレンジして歌い始め、後半は8ビートに戻して演った。これはうまくいった。そしてもう1曲、17歳のころに書き上げた曲をラストに持ってきたのも、原点回帰への気持ちのあらわれだった。自分と音楽の関係を、まるで再確認できたようである。
タメ年だったら互いに耳の痛いところだろうが、この歳になるとどうしても生活がルーティンに陥りがちになる。僕も今回がなければ、バーで歌いゲストで呼んでもらったライブに出演することを続けながら、継続だけに頼っていた。日々の忙しいなかでだから継続だけでも大変なことであり、もちろん力にもなるが、そこから一歩踏み出すことでまだまだ違った世界が得られる。やはり無理してでも踏み出す一歩は大事なのだと再確認した。そしてもうひとつ、歌を心底愛していることを再確認したのだった。
宴は3次会まで大盛り上がりで続き、規模は小さかったもののいいイベントとなった。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。