日に日に秋が深まる今日この頃、〆切に追われていない皆さんはさぞいい週末を迎えていることだろう(悲)。行楽に、スポーツに、そしてグルメにと、もっとも楽しみやすい気候で、もうあとわずかで長い冬がやってくるのだから、チャンスは逃さずに楽しんでいきたい。秋が深まってくると鍋物の登場機会が増える。僕はなんてったって湯豆腐が好きで、最後の晩餐にはマグロの赤身刺しとどちらを頼むだろうかといつも悩む。湯豆腐の魅力はそのシンプルな味と、せかされないのんびりペースである。鍋物は、食べごろを逃がしてしまうと食材の魅力を半減させてしまうから、意外と忙しく見張らなければならない。寄せ鍋なんかで魚を煮すぎるとパサパサで味のしない固まりになってしまうし、すき焼きの牛なんざ絶対にベストタイミングを逃したくないものだ。その点、湯豆腐はひたすらのんびりと楽しめる。
豆腐も食べごろはある。昆布出汁のなかで、グツグツとさせない火加減で木綿豆腐が揺れてくると食べごろで、そこを逃してしまうと固くなってしまう。それでも、鍋には豆腐と鱈しか入れないから慌ただしさがなく、きっとグツグツとさせないこともポイントだろう。のんびりとした気分で長く焼酎を楽しんでいられる。シンプルな味だから、ダラダラと何時間も楽しめることがうれしい。普段、時間に追われているのと真逆だからかもしれない。疲労回復には最高の鍋なのだ。
好きな鍋というと湯豆腐についでは寄せ鍋となるのだが、前述の通り食べごろの見極めに追い回されるのが難点である。湯豆腐と違って、魚介類を4~5種類揃えたら予算としてはグーンと張る、高級料理の類いであることも緊張感を高める。ベースとなる出汁も慎重にひき、味付けだって甘くも塩っぱくもなく、キリリととうまみが際立つものにしたい。湯通しなど、食材の下準備もするに越したことはない。調理レベルが問われ、さらに食卓でも緊張感があるのは湯豆腐とはまったく異なる。そしてなぜか、そんな鍋に燃える男は多いはずだ。寄せ鍋やすき焼きになったときの親父の集中力は僕にもしっかりと受け継がれている。そのくせ湯豆腐を鍋の頂上に君臨させるのも、これになると鍋奉行ぶりをまったく忘れ、ただの酒呑み人形になってしまうのもそのまんま引き継いでいる。
唯一親父が知らないままにあの世に言ってしまったのが、キムチ鍋だ。僕の記憶では20歳くらいの頃に突如としてメニューに現れ、急速にスタンダードな存在になった。僕も研究に研究を重ねて(!?)レパートリーとした。僕のレシピのポイントは、ネギの青いところを大量に使うことだ。秋から冬になると湯豆腐の登場回数が増え、1回に3本ほどのネギを使うから青い部分が大量発生する。これを利用してのもっともうまい料理が、今のところキムチ鍋なのである。キムチと一緒に大量の小口切りをじっくりと炒める。これにトリでひいた出汁を加えて伸ばしてやると、うまいスープが出来上がるのだ。後は具材がドンドン味を深めてくれる。以前、本誌企画の『東海道徒歩の旅』で取材し、手間のかかり具合と伝統に感激してファンになった八丁味噌も一緒に炒めると、よりコクのあるスープになる。今宵、お鍋をご検討の方はぜひお試しあれ。