昭和61年はどんな色?

早いもので発売からちょうど1ヵ月が経過した。独立創刊だと、読者さんにはあまりわからないことで騒ぎ、コンビニで手に入るようになったと、これまた皆さんにはどうでもいいことで盛り上がった1ヵ月だった。おかげさまで今回の勝負はどうやら成功だと問屋担当から報告が入り、胸をなでおろしている。

発売から1ヵ月ということはすなわち、次号の発売まで1ヵ月となった。そろそろ注目の次号ネタを小出しにしていきたい。連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では昭和61年を取り上げる。前号では小学2年生時の昭和48年だったから、ずいぶんとジャンプすることになる。21歳だから、すでに社会に出ているか大学に通っているかは大きく別れることだろうが、頭のなかは女の子しかなかったのは共通だろう。酒を本格的に覚えて、夜な夜な繰り出していた。前年にプラザ合意がなされ、日本はそれまで経験したことのない狂乱時代『バブル』へと突入していく。光り輝いていた日々をここから数年過ごすことになるのだ。そんな日が懐かしい、我々昭和40年男だ。

象徴するようにカフェバーやプールバーなんておしゃれなスペースがドンドン増えていった。街ゆく人もおしゃれになっていき、百貨店のバーゲンには人が押しかけ、目の色を変えてDCブランドを買いあさった。そうして手に入れたブカブカのスーツをキメて、ディスコからクラブへと変貌したスペースで遊びナンパに精を出し、つかまれば自慢の車に押し込んでベイエリアに繰り出して落とす。そんな当時のいい香りがするこの大ヒット曲は、時代を象徴しているようだから、今回の特集内ではインタビュー記事を掲載予定だ。

てな暮らしとはまったく無縁だった僕は、結婚して千葉県の馬橋なるところに汲み取り便所の一軒家を借りて、家庭生活をスタートさせた。バブルの恩恵なんて噂でしか知らない、その後長く続く貧乏生活のスタートでもあった。時給750円のバイトにしがみつきながら夢を追っていた、人生のターニングポイントのひとつになった年だ。苦労ばかりだったけど、若いってことは大概のことをエネルギーに変えられることを知り、結局そのままラクしたことがないのは、もはやそうした星のもとに生まれたのだと笑っている。

昭和40年男にとって昭和61年とはいろんな人生へ向かっていく岐路を迎えた頃かもしれない。大学生なら就職先に悩んでいただろうし、社会人なら3年目でそろそろ本格的な活躍時期に突入する局面だったのではないか? 僕のようにプランプランしていた方は少ないだろうな。

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