大田区の大鳥居に小さなイタリアンレストランがある。10代の後半に出会って、ものすごく大きな影響を受けた料理人であり、そして“男”である。当時はやはり大田区のダウンタウン蒲田で、まだイタリア料理が広く認知される前に『カンパーニャ』との店名を名乗って、本格的なイタリアンレストランを経営していた。店には蒲田の粋で不良な大人たちが出入りして、みんなマスターと呼んでいた。ミートソースとナポリタンがパスタ料理だと思っていた僕が、初めて食べたトマトソースの衝撃ったらなかった。さらにそれらを応用した料理の数々は驚嘆の連続で、すっかり虜になった。11歳年上の20代にして一国一城の主であること。男臭さがバシバシすること。でありながら、店のキャンプイベントではアウトドア野郎を決め込んで、40人近くいる参加者の中心ですべてを仕切り、次々と料理を振る舞うのだ。それまで触れたことないタイプの男で、すべてが憧れだった。
土地の権利問題だかなんだか大人っぽい事情で、惜しまれながら店をたたんでしまったマスターは銀座のホテル西洋に入ったイタリアンレストランで、セカンドシェフとして腕を振るった。初めて招待してもらったのは21歳の頃だったと記憶している。銀座の一等地にできたばかりのホテルで、なんだかそれまで知らない世界に足を踏み入れた、シンデレラの気分だった。それまで知っていた街のレストランのオヤジは、ホテルのビシッとした空気が似合う男に変身して、これまたものすごくカッコよかった。近年は京都の老舗ホテルの和食も含めた総シェフを務めていたのだが2年前にここから出て、現在のレストランをオープンさせた。
大鳥居という土地はちょっと行きづらいが、京都よりはグーンと近くなったことを喜んだのと、あの日のままのマスターに戻ったことがうれしい。男はその価値をグーンと高めて、『リストロ・ジン』を切り盛りしている。奥さんと2人で小さな店を回している姿はやはりカッチョいい。56歳でのトライだったことになり、自分が56歳になったときにそのパワーがあるかと考える。そういう意味ではいいライバルだとも思う。僕だったらたとえば、56歳にしてまったく新らしいフィールドへ向けて創刊させるとか、そういったことだろう。ウーム、いいライバルだ。
そのマスターの店が、先日開店2周年を迎えお祝いに行ってきた。月並みだが、花束がいいだろうと地元で買って電車に乗ることの恥ずかしいこと。これほど花の似合わない男も珍しい。「いつまでも尊敬する男のまま光っていてください」なんて照れくさくて言えるわけがなく、ただ「おめでとうございます」に留めた僕だった。
ちょっと宣伝ぽくなるが、ホテルの客をうならせ続けた味を、下町のレストラン価格で味わえるのはものすごくコストパフォーマンスが高い。シンプルでいて繊細な味の数々は心の底からホッとするはずだ。昨今の足し算ばかりの料理に辟易としている方々にとっては、目一杯楽しめることだろう。なにより、昭和40年男に感じてほしいのは、11歳年上の男の生き様であり、これも皿から十分に伝わるはずだ。