イベント仕事のため、今週末は土佐の高知へと出かける。いやあ、仕事とはいえうれしいものだ。初めて高知に足を踏み入れたのは、30歳を目前にした夏のことだった。憧れの坂本龍馬をリアルに感じたいとの旅だった。僕らと龍馬さんとの接点は? 古くは『巨人の星』での父ちゃんがいつも前のめりに死んでいったと説教に使ったこと。そして金八先生が、なにかあるといつも壁に貼った写真に話しかけていたことで、自然に押し込まれていたのではないだろうか。
中学生の頃、金八先生のテーマ曲である『贈る言葉』の歌詞に強く感銘を受け、武田鉄矢さんの本に手を出した。そして絶対に読んだ方がいいと推薦していたのが、ジョージ秋山さんの『浮波雲』と司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』だったのだ。いわれた通り、『浮波雲』が連載されているビックコミックオリジナルを読み始め、今に続いている。『竜馬がゆく』の文庫本第一巻もすぐに購入したが、こちらはそのままほこりをかぶってしまった。だが、少々記憶が曖昧だが20歳前後に再チャレンジし、長い時間をかけてだが読破した。以来、竜馬さんはアイドルとなり、同時に司馬さんも尊敬の人ととして君臨した。
司馬さんの筆による龍馬さんをアイドルにしたのであって、実際のところを掘り込んで研究するまでにはいたっていない。だが、幾度となく取材らしきものを繰り返し、痛快このうえない男だったことはどうやら事実であるようだ。その初取材となったのが、17年前の夏ということになる。どんな場所に育ち、どんなことを考えたのかを20代のうちに知りたくて、29歳ギリギリの夏に旅立った。まるで昨日のことのようだ。僕はまず城から龍馬さんの生家の距離を感じることを思いついた。僕にとって龍馬さんに関する初取材で、当時を思い浮かべながら歩いてみると、その近さに驚かされたのだった。幕末維新前夜の土佐は階級問題に揺れていて、龍馬さんは下級武士だった。上士と呼ばれた山内家家臣からは、ゴミのように扱われていたという。この近距離でそんなひどい差別があったことは、早々に藩を見捨てる大きな要素になっただろうと、ワガママな確信を持ったのだった。武市半平太や岩崎弥太郎のように、城下からかなりの距離がある男とは大きな感覚の違いが生じるはずだ。なんて29歳の僕は、取材から持論を導き出す楽しさを知ったのだった。
以後、何度か訪れるチャンスを得るたびに、小さな何かをつかんで帰ってきた。前回行ったのは2年前で、このときは山内容堂展なる、おそらく高知だからこそ開催できるイベントと重なり、龍馬さんから見れば敵の親分に触れたのだった。入場者は僕1人だったが、すばらしい展示物の数々にふれることができた。それまで持っていた容堂さんのイメージとはほど遠く、豊かな感性を持った粋人だったと改めさせられたのだった。と、現地に行けば必ず小さな取材ができる。今回は夜に酒をカッ喰らうくらいの時間しかないから、呑み屋で積極的に現地の人と話してこようと思う。龍馬さんや、幕末維新の立役者となった偉人を輩出した土地に生きる方々の意見を聞きたい。維新との言葉をよく耳にする近頃だから、なお地元の方々の言葉が楽しみである。