「なんでもっと早いうちにやっておかなかったの」「はぁ〜い。ゴメンナサイ」
今の子供たちも、親とこんな会話を交わしているのだろうか? そう、今日はこの歳になっても気が重い8月の最終日ですな。思い出す小学生の僕は、7月20日にがーっと宿題やって、翌日はチョボチョボやって、25日あたりから一切机に向かわない生活になる。そして家族旅行に行く数日前になると、一応いい子で机に向かい、旅行ではじけてまた廃人になって、やがてラストスパートの日を迎えるという、毎年変わらぬ正しいニッポンの夏の過ごし方を実践していた。
時はずいぶんと流れ、我が編集部の話だ。いくつになってもというか、懲りないというか、この日は相変わらずラストスパートしている。だってね、奇数月11日発売だから当然といえば当然なのだが、季刊時代も苦しんでいるのだ。この本の偶然とでも言えばいいのだろうか。09年の10月29日がテスト創刊の日だった。結果を待つことしばらく経ち、コイツはいけると10年の3月11日に季刊スタートさせた。2度目の創刊とまでいうと大げさだが、定期刊行物としてのスタートとなった。3・6・9・12月の11日が発売日となり、ここで暗黒の8月を味わったのだった。さらに翌年の3月11日より隔月刊発行に踏み切った。これが3度目のスタートとなったのだが、東日本大震災とぶつかってしまい、せっかくのお祭りムードは完全に封印となった。だが奇数月の発行を続けたため、9月11日の発行は続き今年で3度目になる。つまり、定期発行物になってここ3年は、小学生のときとまったく同じ気分を味わっているのだ、トホホ。
奇数月の11日…。当初は9月だけが重い日だったが、もう1つ加わってしまったのはつらい。が、これはこれとして邁進するしかないものね。
そして、現在ラストスパートとなっている、9月11日発売号は創刊から数えると丸3年を迎える号と位置づけられる。次の11月11日はすでに4年目に突入しているから、微妙ながら3周年記念号の立場になる。そして散々騒いできたからご周知の通り、次号は独立創刊という『昭和40年男』にとって、4度目の記念日になるのだ。僕はこれまでもいくつかの雑誌で、石の上に3年がもたらした活気を何度も体験してきた。今回もまたそれをヒシヒシと感じている。いくつもある目標のうちの1つ目が独立創刊で、このタイミングで達成できたのは偶然ながら気持ちがよい。これも皆様の応援のおかげだよ、ありがとう。
で、このいいタイミングであり、晴れやかなる記念日となった9月11日発売号は、これからも毎年あの小学生の日々へと戻してくれるのだねえ。そして今まさに、その気分を満喫中(!?)の僕だ。さあ、もういっちょ頑張るぞー!!