夏休みの分散が進んでいるようで、今日出社時のラッシュはまだ本格的に戻っていない。遅れて取る夏休みもいいものですなあ。街の電気屋さんだった北村家の家族旅行も遅れてのものだった。お盆休みはけっこう忙しいから、だいたい20日くらいに二泊三日で出かけてる。今ほど分散が進んでいなかったからだろう、どこも空いていて快適なんだが、子供心にそれがちょっと寂しい気がした。海水浴もガラガラで、今みたいに残暑は厳しくないから寒くて、クラゲにビビりながら過ごした。いい想い出ながら、ガランとした風景が広がるのだった。
東京都荒川区在住だったの僕が思い出すのは、熱海や伊東あたり、千葉の鴨川シーワールドを中心としたあたり、谷川岳や水上界隈なんてのも記憶にある。きっと親は少ない予算で工夫をこらし、毎年プランニングしていたのだろう。納品用の軽トラしかない我が家は、マイカー旅行ができないから電車で行けるところになり、長時間の移動を避けたいから関東近郊しか行けない。中学の修学旅行で京都に行ったときは大興奮だった。
皆さんも夏の想い出はたくさんあることでしょう。そこでひとつ問いたいのは、大阪万博に行った昭和40年男がどのくらいいるかだ。荒川区では騒ぎにならなかったように記憶している。そんなリッチな家が少ないダウンタウンの悲しさか、先日出会ったタメ年男聴いた話では、その本人は行っていないが仲間数人が出かけて、土産なんかで盛り上がったとのこと。ウーム、昭和45年のイベントだから、そもそも僕はその頃の記憶ってのがほとんどないから、ちょっとショックにも感じた。編集長としてもマズイなと。僕の街が貧民街であることと、さらに幼少の記憶力が極端に低いことで、企画の軸にブレが出ているのかもしれない。万博だけでなく幼少の記憶の時間的な限度も、タメ年たちに聞いてみることにしよう。
夏の終わりに懐かしく思い出される記憶の断片は、きっと昭和40年男に共通してほのぼのとした昭和の風景の数々で、暖かい気持ちを運んでくることでしょう。そして同時に恐怖心も。そうです、ずーっと怠けてきた宿題の仕上げをせねばならない、忘れることのできないざわざわした気持ちがよみがえる。そしてここ数日は、次号へ向けて同じ気持ちを味わっているのだからなんとも情けない47歳だ。ああ、ざわざわ。