いつもどおりに出社しようと電車に乗り込むと、多くの会社が夏休みを取っていることに気付く。休んでいる人はせっかくだから目一杯エンジョイしてくれ。夏の太陽になんか負けずに、積極的に勝負して渇いたノドでどうぞ『浅草秘密基地』にいらっしゃーい!!
先週のこと、伊勢正三さんのインタビューに出かけてきた。次号の連載企画『夢、あふれていた俺たちの時代』で昭和48年を取り上げることは、以前にもお伝えした。この年の大ヒット曲であり、今も語り継がれる名曲『神田川』が生まれた背景や当時を再検証しようと、当時のかぐや姫のメンバーだった伊勢さんに話をうかがった。
かぐや姫は、南こうせつさんが中心となって結成されたフォークグループで、リアルタイムで聴き込んだ昭和40年男はかなりの早熟の部類だ。きっと、兄姉がいて聴き惚れていたというパターンだろうな。長男の僕に、この曲がどんなタイミングと経緯で入ってきたかは記憶にないが、自然と耳にしていたのだろう。フォークギターを手に入れた中1のときスラスラと口ずさめて、コードを覚えるために懸命に練習した。ハイコードがなくてコードの数も少ないから初心者にはピッタリだった。ロックに目覚めてギターを手に入れた少年にとって『神田川』を弾くのはカッコ悪いと感じながらも、上達するなら魂売ったれーと弾きまくった。余談ながらツッコミどころとして、なんでエレキギターじゃないんだとなるが、単純に予算の問題で、3〜4倍の値段だったから、まずはフォークギターでもないよりましと手に入れたのだ。それでも中1の男の子にとってはお年玉を全部突っ込む高額だった。
当時『神田川』をカッコ悪いと感じたのは、音楽になにか尖ったものを求めて、歌謡曲やフュークを受け入れたくなかったから。ああ、若さとは愚かなものよ。今回あらためてこの名曲を聴き、歌詞をじっくりと眺めると、売れるべくしてヒットしたことがよくわかる。
24色のクレパスとの歌詞を商標だからクレヨンに変えろとNHKから言われ、紅白出場を断った伝説を本人の口から聞けたのはうれしかった。その他にも、骨がある男たちの武勇伝がいくつも聞けたから、次号で詳しく紹介するとしよう。
伊勢さんといえば『なごり雪』を作詞作曲したことで知られる。これに関して今回のインタビューで驚愕の事実を知った。『神田川』が収録されたアルバム『三階建て詩』で、南こうせつさんから作曲を命ぜられ、ノルマは2曲とのことだったそうだ。そこで処女作となったのが『なごり雪』と『22才の別れ』だったとのこと。どんな天才っぷりなんだよと驚きでないか? 2曲ともに昭和を代表する名曲であり、今もまったく古さを感じさせない。それを伊勢さんは「初めてつくった曲」だとさらりと言う。はーっ、スゴイ人ってのはいるんだね。凡人はまた凡人であることに気付かされたのだった。
ギターを弾いていた昭和40年男なら頷く方が多いだろう。『22才の別れ』が弾けるようになって、自分は天才じゃないかと思った日があったはずだ? 僕がまさにそれで、ああ、凡人とはこんなものなんじゃ。