第2号の制作現場での出来事や想いなんぞを綴っている。
今回は第1特集である“タメ年たちのリアル”に掲載した
西田さん(P68・69)の現場から、第2回目。
取材の現場からは離れてちょっと回り道が長くなるが、
インタビュー取材の現場ではテープに収めて
後でそれを聞きながら文字に起こす。
このときにすでに2割程度がカットになっていく。
自分でやったインタビューだから、
そのくだりがおもしろい方向へ展開しなかった記憶があり
容易にカットできる。
逆にいえば、文字に起きたくだりはすべておもしろいと判断したもので、
これを削りながら読みやすいように整理していく。
自分の中にいる編集者とライターが格闘しながら削っていくのである。
現場で聞いた話ではここが大事ではあるが、
読者の目線に落とし込んだらどうであるか?
そんな二重人格者が仕上げていくページである。
ちなみにこのページは写真も撮っているので、三重人格である。
写真を大きくすれば、それだけ文字量が減っていく。
せっかくいい写真が撮れているのにボツにして、
結局2点しか使わなかった(バイクのカットは広報写真)。
そんな葛藤が詰め込まれていればいるほど、
いいページとして完成度が上がる。
そう、これがネット社会で雑誌が生き残る道のひとつだとも
個人的には思っている。
100集めてきたものを熱量はそのままに、
5〜6まで減らす能力がいかに高いかということ。
時代に合っているか、読者が求めているか、おもしろいか。
いろんな要素で判断を強いられながら文章を構成していく。
8ページのロングインタビューをつくるとしたら、
20ページ以上構成できるだけのネタを仕入れて、
そこから取捨選択してつくっていきたい。
…という持論が正解かどうかはその人の判断によるだろうが、
雑誌のページづくりにおいて俺は確信している。
映画でも楽曲でもそうでしょ。
4時間やりたいならそれだけの要素が必要で、
さらに長時間にわたって集中力を持続させるという、
本来とは別の技術まで入れ込んでいかなければならなくなる。
だったら始めから2時間くらいに設定して、
よりよいものを狙うとという選択もある。
と、まあさまざまな要素が絡んでくる。
ヒット曲を連発する作曲家に話を聞いたときは
堂々と“棄てメロ”なる言葉を使った。
「サビを立たせるためならなんでもやるぜ」
というセリフのために使ったのだが、
そういう場面にもものづくりの現場では出くわすということ。
おっと、俺の技術論の核心に迫ってきたよ。
よい子は真似しないようにね。