魔物がうろつく、鈴鹿8耐レポート。(1)

ちょっと今さら感はあるが、先週末は鈴鹿サーキットに「鈴鹿8時間耐久レース」の取材に出かけてきた。ピーク時と比べると観客はずいぶんと減ったものの、それでも6万人近い観客を動員 (主催者発表) し、盛り上がりを見せた。

耐久レースというと、ル・マン24時間はよく耳にすることがあるだろうが、四輪だけでなくバイク部門もあることは一般にはあまり知られていないかもしれない。そしてこの鈴鹿8耐は、ル・マン (最終戦) を含む全5選で構成される世界耐久選手権の一つなのだ。世界を転戦するチームが来日して参加する、国内有数のバイクレースである。僕が取材を始めたのは1999年からで、当時は海外プレスもたくさん来ていて、プレスルームは国際レースの緊張感漂うものだったが、今は外国人記者はほとんどいなくなってしまった。

もう14回目になるこの取材は、体力の限界が見えるチャレンジでもある。朝7時前には会場入りして、様々な取材活動を進める。プレスルームなるオアシスはあるモノの、取材のほとんどはギンギラ太陽の照りつける炎天下なのだ。照り返しも激しく、容赦ない暑さの中でものすごい量の汗とともに体力を奪われる。プレスルームに戻って水分を補給してまた日差しの下へと出て行くのを繰り返すのは、昭和40年男にとって苦しくないはずが無い。だが仕事なんだと気力でこなすのは、ライダーの方がもっとつらいとわかっているから。それと、レース取材はどれだけ多くの時間をコースやピットにいるかで、いいネタをつかむ確率が当然上がる。今年も日焼け止めの使用には突っ張らかって、素肌で勝負したのだった。

バイク雑誌をいくつも抱えて望む取材者としては、どのチームにも頑張ってもらいたい。会えばそれぞれに激励メッセージをする。だが個人的に、そして『昭和40年男』編集長にとって、応援するチームはただひとつで、タメ年の友人であり、仕事のパートナーでもあるタメ年男の鶴田竜二が率いる「エヴァRT初号機 TRICKSTAR」チームだ。去年は粘りのレース展開で5位をもぎ取り、今年の目標は当然それより上の表彰台であり、もちろん目指すはその真ん中である。レースにおいて勝つこととはすなわち表彰台の真ん中であり、それ以外は勝利とはいわない。準備に準備を重ねて、この日を迎えた鶴田だった。

鶴田は峠小僧あがりながらワークスライダーに上り詰めた、バイク漫画を地で行くような男で、我々にとっては理解しやすい存在だろう。金持ちの家に育って小さな頃からミニバイクなどに触れてきた最近のライダーとは違い、コツコツと自分のすべてをバイクに注ぎ込んで、小柄ながら大活躍した。ハングリーな闘志あふれる男だ。現在はパーツメーカーとバイクショップの経営の傍ら、自身のチームを持ちレース活動に積極的に取り組んでいる。この8耐だけでなく、全日本ロードレースと現在インドネシアのレースにも参戦している。バイクレースが大ブームの頃に活躍した鶴田とって、サーキットは彼自身のベースであり、そのなかでも8耐は参戦経験や国内における意義から特別なものととらえていて、苦労を惜しみなく注ぎ込んで参戦している。毎年カワサキを背負って頑張る姿に感動させられる。今年も本当によく頑張った。 (つづく)
 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で