昭和48年の想い出。

さあさ、お立ち会い。発売の興奮が覚めやらぬ今日であるが、次号の制作に取りかかっている。今日も取材、明日も取材と飛び回る編集部だ。

連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では、昭和48年を取り上げることにした。これは僕だけの感覚なのか、タメ年諸氏に問いたい。鮮明な記憶に残っていることが前年より格段に多くないか? 小学校2年生に上がった年であり、僕の通った小学校ではクラス替えがなく、担任も1年生から継続だった。その1年生の記憶がかなりいい加減だったり、それ以前とごっちゃになっていたり、かなり混沌としたものになっているのだが、この年からはすこぶる視界が良好である。というのも昨日のこと。音楽担当編集の川俣と打ち合わせの席で、当時のヒット曲に僕は興奮の連続だった。年間チャートをもとに打ち合わせを進めるのが通例で、目を通すとまず3位にガロの『学生街の喫茶店』(発売は前年だが、ヒットはこの年)があった。この曲はアイドルや歌手がお茶の間のためにお届けする曲と異なり、リスナーが好んで取りにいくような存在で、僕自身も初めての感覚だった気がする。もっとも取りにいくといっても小2ごときに大した手段は無く、番組から流れてくると夢中になって聴き込んだ程度だったが、あきらかに他の曲と異なる感覚で迎え入れた曲だ。

そして5位にはご存知ジュリーの『危険な2人』で、僕ら昭和40年男にとってのジュリーはコイツが最初で、次に惚れ込んだのは『勝手にしやがれ』、存在を決定づけたのは『TOKIO』だったのではないか。その間に名曲の数々が散りばめられているが、時代の象徴という意味でこの3曲の存在は大きい。『危険な2人』はお茶の間を釘付けにした曲で、僕ら小2男子にとってもジュリーが強く刻まれることになった曲だろう。

天地真理さん、浅田美代子さん、麻丘めぐみさん、南沙織さんと、僕らにとってお姉さんアイドルたちが次々と並び、山口百恵さん、桜田順子さんらが追随していく格好になった、アイドル戦国時代の幕開けだった年ともいえる。おっと、昌子ちゃんゴメンナサイ、花の中3トリオだったのね。男性群も新御三家のヒロミ、ゴロー、ヒデキがそろい踏みで年間チャートにランクインしていて、まさに男女ともにアイドル百花繚乱だ。

そこに前述のとおりガロやかぐや姫の『神田川』、チューリップの『心の旅』、陽水の『氷の世界』など、本格的なフォーク実力派が活躍しているのは、僕らが感じた音楽シーンそのままの原型になっている。そしてくどいが、どの曲も記憶に鮮明なのだ。1位〜50位まで眺めて、ほとんどが口ずさめるのはいかにテレビを楽しみ、また歌謡曲に影響力があったのかを改めて知る。

驚愕なのは年間チャート1位2位をあの方々が奪っていること。さて誰でしょう? 後にピンカラ兄弟になってしまった、宮史郎とピンカラトリオだ。この仕事で改めて知ることになったのは、人気絶頂期に並木ひろしさんが脱退して、史郎と五郎2人組の兄弟になったとのことだった。さすがにこのグループの記憶だけは鮮明でなかった、ハハハ。

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