北島三郎さんの「風雪ながれ旅」。

昨日は、誌面連動企画の『3番勝負』の解説をしようと書き始めたのたが、演歌と我々の関係からついつい普段抱いていた怒りの結末となってしまった、失礼。では解説といくぞ。

北島三郎さんの『風雪ながれ旅』は昭和55年の曲だから、小中学生時代のお茶の間から得た曲群からはちょっと外れるかな。お茶の間原風景ナンバーといえば『与作』や、なんといっても『函館の女』あたりで、サブちゃんと我々を強くつないでいる曲だろう。『函館の女』は昭和40年生まれの名曲で、さすがのあの歌詞は星野哲郎さんですな。青函連絡船に揺られて函館港に着いたときは必ず口ずさんでしまう。文句なく昭和の名曲で、演歌では珍しい部類のメジャーキーでの大ヒット曲だ。

昔、山本譲二さんが「おやじの歌は絹のようだ」という言葉でサブちゃんを評したことがあって、僕のなかに強烈に残っている。歌が大好きな僕は、練習するときにいつもこの言葉を意識して、でも絹どころか木綿よりもザラザラしている自分の歌に泣けてくる。ダイナミックな歌唱が醍醐味と感じるサブちゃんも歌には、常人では行きつくことのできない繊細さが内包されていて、それこそ山本譲二さんが絹とした所以だ。その滑らかさをもっとも感じられる曲が『風雪ながれ旅』だ。繊細にして大胆、ダイナミズムの真骨頂、男の強さと虚しさと弱さ、そのすべてが1曲に込められている。日本を代表する1曲だね。昭和11年生まれでのサブちゃんが昭和55年に発表した曲で、現在の我々よりも年下にしてあの域に行ったのだから、ただ脱帽するしかない。

死んでしまった父親の十八番だったこともこの曲が好きな一因で、酔っぱらって繰り出したカラオケで必ずリクエストしていた。なぜか牧村和子さんの『帰って来いよ』との2曲は、親父のマストナンバーだった。ギターを嗜み『NHKのど自慢』のラジオ時代に出場した経験を持つ男で、歌は下手でなかった。ただ、アイヤーでためすぎるのを僕にいつも注意されていたっけ。

ホントに親しい人とのカラオケでは、僕も『風雪ながれ旅』を入れる。だがまったくもってして歌にならない。泣けてくるほどカタチにならないホントに難しい歌だ。えらそうにためすぎなんて言っていた親父の足元にも及ばない歌唱にしかならず、ましてやサブちゃんに申し訳ないとのレベルで終わる。これまた身内の前でしか歌わない『まつり』もまったくカタチにならない。カラオケ好きな読者諸氏はぜひトライして、僕と同じ敗北感を味わってほしい。

そして『風雪ながれ旅』といえばなんといっても大晦日のお楽しみで、紅白でやってほしい曲ナンバーワンである。紙吹雪舞うなかでサブちゃんの堂々とした歌唱に見入っていると、それまでに流し込んだ焼酎が涙になって流れ落ちる。日本の年越しっていいなとの満足感を味わう。今年の暮れはどうなることやらと、今から楽しみにしてしまう僕だ。あまりにも思い入れの強い曲ゆえ、ずいぶん長々と語ってしまったが、それは対決相手となった『天城越え』も同じ。後日、たっぷりと語らせていただこう。

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