演歌はどうよ?

毎度〆切間際になって大いに悩んでの出題となる3番勝負だ。今回はどのくらいのタメ年男が興味を持っているのかと、ちょっと試験的に演歌対決とした。ここからここまでが演歌という決定的な定義はなく、今回の出題でも、殿様キングスとクールファイブは演歌と呼んでいいものかどうか、かなり難しいところだが、まあ問題ないでしょうと考えられる曖昧なジャンルともいえる。

さて、昭和40年男にとって演歌とは? 好んで聴いていたわけでないのに、なぜかたくさんの曲を口ずさめるのは、居間に鎮座した家族の共有財産だったテレビの存在が大きい。歌謡曲はテレビ番組のキラーコンテンツの1つであり、多くの年齢層から視聴率をとりたい当時の番組づくりにおいては、バラエティに富んだ選曲が求められた。僕らはジュリーやキャンディーズの曲を求めながら、五木ひろしや森進一にもつき合わされた。そして歌謡曲が最も華やかな年末になると、その年を象徴するようなヒット曲のなかに、多くの演歌が入り込んでいた。レコード大賞でも昭和40年男が夢中になっていた時代は、演歌歌手の受賞が圧倒的に多い。日常的に聴かされていたうえ、年末に名曲名歌唱がパワープレイされる格好で昭和40年男の心に刻まれたのだ。大人の階段を登るたびに、心のベースになっていたものが表に現れてくるように、ついついカラオケでリクエストしてしまう今日ではなかろうか。

幸せなことだ。ジュリーもキャンディーズも、そして演歌やフォーク、ロックまでもごちゃ混ぜになって僕らに染み付いている。当時は演歌が退屈だったかもしれないが、テレビがパーソナルなものでなかったからこそ知り得た文化だ。現代を生き抜く子供たちは、演歌をほとんど聴かないまま大人になる。はたして将来、演歌を聴くようになるだろうか? 文化が一つ沈滞してしまうかもしれない。

幼少時にいい歌唱と触れていたのは大きい。それに比べて現代は目を覆いたくなるような歌謡番組ばかりだ。少なくとも歌を人様に聴かせる仕事をしている連中が、口パクで仕事現場を乗り切っているのは許し難い。もっと言うと、なぜ歌謡番組は口パクを禁止しないのだろうか? そんな番組つくっていて、つくり手として楽しいはずがないと思うのだが。総じて歌唱力で勝負していた演歌陣に対して、少々歌が下手でもがんばるカワイイアイドルを我々は許していた。それは懸命に歌う姿があったからであり、うまくなくても魅力を見出す豊かな感性を自然と磨いていたのだ。繰り返す、我々はなんとも幸せな世代だ。

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