今年の大河ドラマはここ近年では抜きん出ていい。ハイクオリティである。NHKはジャブジャブと金を使えるからとの意地悪は言えるが、予算だけであれだけの作品が生まれるのかといったらNO!!で、熱意や狙いがしっかりと根底にあるからよいものへと向かっていくのだろう。
だが視聴率は苦戦を強いられている。なぜ数字が取れないのか? 評論家でもなんでもない僕ごときの分析だが、大衆にとってあまり馴染みのない話であることに尽きる。大河にとってキラーコンテンツは戦国武将であり、とくに信長、秀吉、家康をいかに手を替え品を替え登場させるかが視聴者を呼び寄せる近道だ。どう見せられても面白く、歴史ロマンが満載であり、かつ痛快なネタが豊富だ。なによりターゲットである中年男にとって、なじみ深いところが大きい。休日の終わりを仕上げるのに、なにも難しいことを考えないで見ていられることは大きなプラス要素で、同じく日曜日の高視聴率獲得番組の『サザエさん』や『笑点』と同じ類いといってもいいだろう。平清盛となると、時代背景や史実を詳細に把握している人は少ない。所々をかつて歴史の教科書で学んだという方が多いから、学習意欲を必要とさせられる。多くのお父さんたちが求めているのは、本能寺の変で信長がどんな最後を遂げるかとか、秀吉と光秀の絡みを見たいのであり、途中でトイレに立っても余裕で見ていられるものだ。そんなお父さんたちがごっそり視聴者から抜け落ちた結果が、この低視聴率である。
偉そうに書いている僕自身も、平清盛は今回を機にキチンと勉強しようとのぞんでいるから、ついつい姿勢を正さなければならない。すべてをキチンと見たいから録画がたまって追いつかなくなってしまった。最近では見られるチャンスがあったら見ようと開き直り、先日久しぶりにリアルタイムで見てそれでも十分楽しめた。すばらしいのは捨てコマがまったくなくて、テンポの小気味良さに他ならない。つくり手には強い信念があるだろうから、視聴率なんざ無視して貫いてほしい。今の日本に、平清盛の時代を懸命に送り込むことには意味があることだ。ともかくあれだけのテンションとテンポでつくり込まれたものをタダで目に出来ることだけでもすばらしい。
視聴率を取ることは、僕らにとっては売れることと同じだ。僕は『昭和40年男』をたくさん売りたくて日夜悩んでいる。売れなくても好きなものをつくりたいなんて言葉は絶対に吐きたくない。だが面白いものが売れるのだとは信じていたい。いいモノが支持されるのだとも信じていたい。そこへ向けて実力を付けていきたいと努力を重ね、また思い悩む日々に、今回の大河のようなものを見せられると勇気がわいてくる。と、同時に涙があふれてくる。感動と力不足の自身への叱責がついついあふれ出てしまう。ありがたいことだ。