目撃、吉田拓郎さん。

時間軸としては一昨日の続きになる。ニッポン放送に行き、坂崎幸之助さんにインタビュー取材をさせていただいた。公開ライブを中継できるほどの大きなスタジオで取材を終えて礼を言い、出ようとするとぬぁんと、拓郎様が入ってきた。ひえっ、本物ジャーと興奮しながらも「こんにちは」とうわずった声と引きつった笑顔で挨拶しながらスタジオを出た。よく考えればこの世界「おはようございます」だったと後悔しながらも、神様に会えてうれしい気分になった。僕の中に存在する多くの神様(笑)の中でも位が高い方で、ストレートでいながらにして繊細な世界が大好きだ。

昭和40年男なら好きな方は多いだろう。だが僕が聴き始めたのはずいぶん大人になってのことだった。洋楽と出会い音楽に夢中になり、やがて世界観の合う邦楽も聴き始めた。RCや柳ジョージさん、ショーケン、憂歌団などなどを聴きあさった。そのころはまったく拓郎さんには興味を持たなかった。だってね、知っていた曲が『結婚しようよ』で、あまりにもそのイメージが強過ぎた。加えてフォークと呼ばれるもの全般にアレルギーを感じていたのは、ガラスの10代のバカさと幼さが同居していると今なら言えるが、当時は「俺そのものがロックだから」と突っ張っていたほどのバカだった。やがて黒人音楽にもハマっていき、ますますフォークの世界から遠ざかっていった。

突然、電気が走ったのが『唇をかみしめて』がテレビから流れたきたときだ。荒川区の実家の狭い居間で、たまたま見たドラマだか映画だかのエンディングで流れた。『刑事物語』の主題歌とのことだが、それで見たのかどうかは記憶が定かでないが“ひとがおるんよね”と繰り返すサビが、そのまま強烈に耳に残った。バイト先の先輩にたずねると拓郎だと教えてくれ、店の有線放送に何度もリクエストした。やがて武田鉄矢が龍馬に変身した映画での主題歌『RONIN』に聞き惚れ、さらにCDレンタル店が近所にできて借りてきたアルバム『ひまわり』で、決定的な存在になった。こう書き綴っていくと、王道から外れたところで拓郎さんに触れたことがよくわかる。普通の昭和40年男にとっては『落葉』や『夏休み』から入ったのかな? 僕はカラオケで『我が良き友よ』と『流星』をよく歌う。言葉の力がキチンとした曲が拓郎さんの魅力で、歌うとよくわかるのは言葉の乗り方が気持ちいいことだ。

楽曲提供に名曲が多く、これも後々知ってますます好きなった。キャンディーズの『アン・ドゥ・トロワ』や石野真子さんの『狼なんか怖くない』、そして森進一さんの『襟裳岬』とか、上げていったらきりがないくらいの名曲の数々を生んできた。

と、つらつら書いているのは、そんな大好きな拓郎さんと挨拶を交わしたうれしさの大きさだと思ってくれ。そして、僕と入れ違いでスタジオに入った拓郎さんと坂崎さんはこんな会話を交わした。
「なにやってたんだよ」
「インタビューですよこの雑誌の」と、だってテーブルには最新号が置いてあったから。
「ふーん、矢吹と力石ね」
「わりと面白いっすよ」
「ふーん」と、拓郎さんの記憶にとどまり、いつか取材を申し込だときに「ああ、あの矢吹と力石のヤツね。受けてもいいよ」となる…。以上、妄想でした。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

2件のコメント

  1. ぼくも拓郎さんを聴いたのは20歳を過ぎてからでした。
    初めての挫折がその頃だったのです。(遅い方ですね)
    それまではニューミュージックやアイドル歌謡ばかり聴いてました。
    それ以外には、ヨーロッパのイージーリスニング(ムードミュージック)やシャンソンも聴いてました。
    けれど今は何でも好きですね。

    • 初めての挫折に拓郎さんですか。どんな曲が癒してくれたのでしょうか? 僕は励ましてもらったり自分を信じることを教えてもらった気がします。

コメントは受け付けていません。