第1回「幻のスタジアム」… 東京都 荒川区
年の瀬も押し迫ったこのタイミングではありますが、『昭和40年男』公式サイトのオリジナルコンテンツとして、不定期連載「空から見た昭和の記憶 (首都圏編)」をスタートいたします。
昭和の後期に誕生、または消滅した地上の構造物について、上空からの画像でひもとき、振り返っていくこの企画。「昭和トリオ」の発行元・クレタの “T. 田中” がご案内します。
しばし空からの時間旅行をご一緒に!
■写真① 1966年 11月 / 南千住に近代的なスタジアムがあった!
この写真は 1966年 11月に 東京都の荒川区周辺を上空から撮影したものです。早くから発展していたエリアなので現在とそれほど大きな違いは見られませんが、その中に一点だけ、違和感を覚えるほどの巨大な構造物が目を引きます。写真中央やや右下に大きな野球場があることにお気付きでしょうか? それも、かなり本格的なスタジアムであることが上空からの画像でも分かります。
これは 千葉ロッテマリーンズ の前身球団、大毎オリオンズ (→ 東京オリオンズ → ロッテオリオンズ) の本拠地として、わずか10年ほどの期間のみ存在した「東京スタジアム」です。アメリカのメジャーリーグに範を取った最新式のスタジアムで、冬季にはスケートリンクが運営されるなど当時の日本としては画期的な施設でした。ナイター照明によって下町の住宅街の中に浮かび上がる姿から “光の球場” とも呼ばれました。
運用された期間は ’62年から ’72年なので、幼少の頃に親に連れて行ってもらった記憶があるという昭和40年男もいることでしょう。また、マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のエピソード「光の球場」(コミックス 第82巻 収録) で知ったという人も多いかもしれません。
■写真② 1975年 1月 / 閉鎖から数年後の「東京スタジアム」
ファンや地元民の自慢だった夢の球場は、親会社の破綻や球場自体の経営難のために 1972年をもって閉鎖されました。この写真はそれから数年が経過した ’75年 1月のものですが、まだ大きな変化は見られません。当時は各方面から再開の要望が後を絶たなかったそうです。
■写真③ 1979年 11月 / 完全に解体され、更地に…
存続を望む声もむなしく、閉鎖後一度も再開を見ないまま東京スタジアムは 1977年に取り壊されました。この写真は ’79年 11月に撮影されたもので、すでに完全な更地となっていることが分かります。
■「東京スタジアム」跡地の現在の様子
スタジアムのあった敷地は東京都が取得し、現在は「荒川総合スポーツセンター」や「南千住野球場」として都民に親しまれています。スポーツと野球という用途につながりが感じられますね。しかし残念ながら、現地を訪れてみても特に当時を偲ぶことができるような痕跡はありませんでした。
スポーツセンターのロビーの片隅には、往時の姿を収めた数葉の写真や新聞記事などの展示があり、このガラスケースだけが、ここにかつて華やかな野球場が存在したことを静かに語り継ごうとしているようでした。
(取材・撮影・文: T. 田中)
■「昭和シリーズ」SNSも展開中! フォロー&シェアで、ゼヒ応援よろしくお願いします!
『昭和40年男』
Facebook https://www.facebook.com/crete.s40otoko
Twitter @s40otoko https://twitter.com/s40otoko
『昭和50年男』
Twitter @s50otoko https://twitter.com/s50otoko
『昭和45年女・1970年女』
Twitter @1970onna https://twitter.com/1970onna
※クレタ オンラインショップ で「ウインターセール」開催中!
「昭和トリオ」・増刊 のバックナンバーも全品 20% OFF!
2023年 1月10日 (火) 13時まで
https://crete.shop-pro.jp/?mode=srh&sort=n&cid=2146436%2C0&keyword=%BE%BC%CF%C2
「昭和ジェネレーションパラダイス」
公式サイト https://www.genepara.com
Facebook https://www.facebook.com/showagenepara
Twitter @showagenepara https://twitter.com/showagenepara
※各世代向けのニュースや掲載希望の情報もお待ちしております!
お問い合わせフォームからお寄せください。→ https://www.s40otoko.com/contact