日帰りの福島。

昨日の夜中2時過ぎにハイエースに乗り込んで、一路福島を目指した。昨日は得意とするバイク関連のイベントで、もうすでに今年何発目になるだろう。雨に降られたものの1000台を超えるバイクが駆けつけてくれ、大盛況に終った。来場くださった皆さん、ありがとうございました。

一夜明けた今日は、6月11日で早いものであの震災の日から1年と3ヶ月が過ぎたことになる。『昭和40年男』では復興が1日でも早くなるようにと、また記憶から風化されないようにと『俺たちの責務』を連載している。いくつかの偶然が重なったことで、宮城県の津波被害をフォーカスしているから、福島県の方々が抱えている“人災”による被害の方は深い取材はしていない。だが昨日は、記事にするとの目的ではないものの、いずれ何かしらのカタチで声を発するだろうことはこれも責務だろうと、多くの方から話をうかがう努力をした。「福島ナンバーのクルマが無くなりました」とは、震災直後しばらく続いたそうだ。福島は豊かな自然に恵まれたすばらしい場所がたくさんあり、歴史的にも興味深い史跡や場所が多い。ここに来て少しだけ戻ってきたとはいうものの観光は壊滅的である。及ぼした経済的な打撃の大きさはご周知のとおりだ。

みなさんが苦々しく口にしたのは国の情報のずさんさで、いかに振り回されてきたのかをそれぞれの言葉にしていた。なにを信じればいいのかとの時期がとてつもなく長い時間に感じたという。そしてそれはまだ払拭されていないとのことだ。1年と3ヶ月を経た今にいたって、まだなにも解決していないし、心が受けた大きな傷は少しも癒えてない。これが現地の声なのだと、あらためて考えさせられた。

今回のイベントは、微力ながらも活気が戻ればと主催した。現地の皆さんが負った傷の深さを本当の意味で知ることはできないが、来訪者の笑顔を見ることで元気になれるとは何度も聞いた。そして開催してみて、実際にそう言っていただいたことは素直にうれしいし、今朝になって名刺を渡した方々からお礼のメールをいただき、やれやれお恥ずかしい限りだ。残念ながら日帰りで帰ってきてしまったから、今度は旅人としてゆったりとこの地を訪れようと思う。昭和40年男ツアーでもやりますかね、みなさん。

(お願い/13、14日は宮城県に取材にでかけるので、復興に尽力なさっている方がいたら取材させてください。ご連絡待ってます!!)

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