貿易センタービルよ。さらばじゃ。

会社が今あるに引っ越してきたのは、2007年のお正月だった。以来、大変お世話になってきたのが浜松町駅に隣接する 貿易センタービルだ。昭和45年に営業を開始したビルは、しばしの間日本一の高さを誇った。大阪万博が開催された年で、昭和39年に向かって整ったインフラに乗せて、ミラクルジャパンへと走る戦闘力をまとった頃と言えばよかろうか。同世代諸氏は、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の再放送を白黒テレビで観ていたというのがスタンダードだろうか。貧しさからの完全脱却に向かっていく華々しさをアピールした、一つの象徴的なビルである。

 

去年の6月末をもって営業を終えた。ちょっとワルなは、その翌日にエレペーターで最上階の一つ下まで上って別れを告げるという行動に出た。ふっふっふ、ワルだろっ!!  だってね、弟の結婚式があったビルだし、昭和な地下食堂街にはずいぶん世話になった。少々の余談ながら、大型バイクを乗り回しながら商売をしていた爺さんは、この街に拠点を持っていたとのこと。以前コラボ企画で、家系図を作ってくださる会社の 家樹さんに僕のご先祖について調べてもらい、このことが判明したのである。うちの事務所から徒歩1分なのだから、僕も弟も爺さんに呼ばれた気がしてならない。ありがたや。

 

本題だ。そのビルがどんどん低くなっている。これは5日くらい前に撮影したものだ。年内に更地を目指しているのだろうか。ともかくかつての日本一がこんだけ低くなって、まだまだ少しずつ背を縮めていくのは寂しいが、見る度に思うのはこの工法の見事さだ。まず中をくり抜いて、外を落としていっているのだろう。ダイナマイトで木っ端微塵なんて野蛮なことはしないのである。って、密集地の東京でそんなこたー、できるはずがない。

 

浜松町に来る以前は、赤坂を拠点にしていた。この時いつも見上げていたのが、“バブルの象徴” と東京人が呼ぶ赤坂プリンスホテルで、ここも同じ工法でビルを解体したのに驚かされた。今後、こうした場面を多く見ることになるだろう。オリンピックや万博時にニョキニョキ建ったビルは、その時を迎えているのだから。そしてリボーンである。現在解体中のこの場所に、新しい貿易センタービルが建ち開業するのは2027年とのことだ。俺たちも引退がぼんやりと見えてきている真っ只中にいるが、もうひと踏ん張り新しい活躍へと向かって建て直したいですな。ファイト!!
 

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