不定期連載企画、懐かしの名盤ジャンジャカジャーンのシリーズ第9弾は、ザ・バンドでお送りしている。いやあ長い話になってしまったなあ。もうちょっとだけおつき合いくださいな。
メンバーの深刻なドラッグ中毒に加えて、『Northern Lights – Southern Cross/南十字星』のセールス面での失敗で、リヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソンの不仲が決定的なものになった。ただこれはキッカケに過ぎず、2人の溝はザ・バンドの成長と比例してのものだった。もともとはリヴオンが率いたバンドで、よちよち歩きのロビーやリックを育てながら成長していった。そのプライドがなかったはずはない。デビューした当時はレヴォンのサービス精神こそがザ・バンドの骨格だった。資料を掘り返すと、レヴォンがリチャードに語った言葉に「みんなを喜ばせるために演奏する。それが僕たちにできる最上のこと」とあるが、一方のロビーは大衆よりも芸術性を求めていった。『Northern Lights – Southern Cross/南十字星』は傑作であるものの、ロビーのソロアルバムと言っても過言でないほど大きな存在感を放つ。解散後のソロアルバムを聴けばロビーの行きたかった方向が見え、『Northern Lights – Southern Cross/南十字星』ではそれを示唆しているかのようだ。それでもザ・バンドの精神でつくり込んだ1枚だったが、結果的に最終アルバムとなってしまった。
オリジナルアルバムがなかった3年の間にロビーのサウンドクリエイターとしての意識が強くなっていき、決定づけたのはメンバー全員がレコーディングに参加したボブ・ディランの『Planet Waves/プラネット・ウェイブ』で、ロビーだけが制作に強く関与したことが大きかったのではないだろうか。ボブ・ディランによって世に出てきた彼らの幕引きの決定的な要因が、この制作現場によってもたらされたとしたら皮肉な話で、もちろんそれ以外にもいろんな要素が複雑に絡み合ってのことだろうが、74年と75年が解散へと急激に舵を切った年になった。
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のCD発売時のライナーノーツにピーターバラカンは「デビュー作にはリチャードの曲がたくさん入っていて、後にロビー中心のソングライティングになってしまったのはもったいない」と書いている。強烈な個性のキャッチボールがザ・バンドの持ち味で、それができない状態へと陥っていたのだから解散は仕方がなかったのかもしれない。『Northern Lights – Southern Cross/南十字星』の翌年に解散コンサートを開催し、翌77年には契約上のノルマのために制作された『Islands/アイランド』を一応世に出して、ザ・バンドは活動を終えた。(つづく)