河口 仁先生と知り合ったのは、2015年のことだった。『俺たちの心を震わせたマンガたち。』(vol.33) という特集を組み、ブッチャーをモチーフにしたプロレスマンガ『愛しのボッチャー』を描いた先生のインタビュー記事を掲載したのだ。驚いたことに連載企画の「お料理寅さん」がオーナーシェフ のレストラン「セレニータ」の常連さんだったのである。なんとも不思議な縁を感じるじゃないか。当然ながら「東京麻布秘密基地」に来てくださり、盛り上げてくれた。「浅草秘密基地」にも顔を見せてくれるようになり、ずいぶん親しくなれた。発売後や秘密基地の後に、ご覧の絵手紙を送ってくださる。その数24枚である。2016年から始まって、最後は去年の春だった。「セレニータ」の シェフからも連絡が取れないと聞いて心配していたところに、訃報が届いてしまった。先週の浅草では献杯した俺たちだ。
いつも感謝の言葉ばかりを口にしていた。そしていつもにこやかだった。ハガキには『昭和40年男』の特集への賛辞や、秘密基地が楽しかったことへの感謝の言葉が躍る。僕のことを日本一のガキ大将と呼んでくれ、恐縮ながら写真のように藤岡弘、さんと並べてくれたりもした。
ハガキが途切れている期間は約1年半だ。ネットで見られる情報から分かるのは、17日に密葬で通夜が営まれることくらいだから何とも分からないが、もしもこの間、闘病に苦しんでいたのではと思うとつらい。
このハガキを見返しながら、あのやさしい笑顔が思い起こされた。そしてこれだけは確信する。どんなにつらい闘病だったとしても、先生は感謝の心を失わなかったはずだ。
2015年のインタビューでは、「好きなマンガを描いて、プロレスを見続けることができて幸せです」と語っていた。「子供の頃からマンガばかり描いていて、大人になってもマンガ以外の仕事をできる気がしなかった」とも。とても純粋な方だった。まだ73歳とのことだから、早すぎる死だ。が、やはり信じられず、秘密基地にふらりと現れる気がしてならない。でももう空に旅立ったのですよね、仁先生。15歳も年上ながら僕らの輪に入ってきてくださり、ありがとうございました。教えていただいた感謝の心を受け継ぎたいと思います。プロレス三昧で、ゆっくりとおやすみください。