アリ? ナシ? という基準。

出社時の京浜東北線の車中で、トビラ上に設置されているモニターから流れるPRフィルムに、おにぎりと紅茶はアリ?ナシ?との問いかけを見た。うーん、ふと考え込んでしまった。企画会議でチョクチョク、日常会話でも使っているこの判断基準はよろしくないなとふいに気付かされた。おにぎりと紅茶の新提案との問いかけならそれこそアリなのだろうが、誌面企画に関してはちょっとよろしくない。良い悪いとか、オモシロイかつまらないかをアリとナシで評価するのは、どこか責任逃れのニュアンスが入り込んでいる。自分の価値基準を出さず、世間ではおそらく評価を受けるだろうものをアリだとちょっとインテリぶっている言葉だ。もっとねちっこくいうと「俺って世間の潮流をバッチリつかんでいるからさ、アリなんじゃないの」との部分や、失敗したときに「なかったかあ。ちょっと俺の感性がやりすぎたかな」と逃げられるすばらしい価値基準だといえる。

ソーシャルでの“いいね!”は、とてもいい流れをつくっていると日頃感じている。自分の意見としてしっかりと、“いい”を気軽に出しているからだ。企画でも日常会話でも「いいね!」との意見を出した方が「アリだね」というよりも数倍カッコいい。もっといえばこの高い評価をするボキャブラリーを増やした方が、世の中きっと面白くなるだろう。意見を求めたときにいろんな言葉で賛同してくれた方が気持ちいいもの。それを「アリ」でくくられたら、大げさだけどそこで思考停止状態になってしまう。そうそう、連載コラムの『裏みつを』の最新号で立川談慶さんは、フェイスブックの「いいね!」だけではいかんと提言している。「敵申請」ボタンをつくるべきだと。まさにおっしゃるとおりですな。匿名でなく、ましてや無責任でなく悪い評価を相手にハッキリといえる世の中の方がすばらしいのは、昭和40年男ならきっと賛同いただけるだろう。

朝の満員電車でそんなことを考えさせられ、逃げゼリフとなるような“アリナシ”は封印しようと誓ったのだった。

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