2030年へ、時間の旅。

昨日の金環日食にちなんで、多くの方が過去と未来を話題にしたのではないだろうか? 恒例の『浅草秘密基地』でも話題に上り、東京では173年ぶりとか、名古屋にいたっては932年ぶりだと、過去へと旅立った面々だ。

そんな長い時間のことを語っているうち、ふと立ち止まって考えたのは、僕らの生まれた年のたった20年前に玉音放送があったということだ。終戦から僕らが生まれた20年というタイムストロークを強く意識した。と同時に、僕らはすでに20年という周期を2回以上過ごしたことになるじゃないかとの話にいたった。おぎゃっと生まれて1つ目の20年は、大人へと駆け上がるためにいろんな栄養を得た。『昭和40年男』が雑誌としてつくり込めるのは、この時代が輝いているからに尽きる。世の中のすべてが輝いている中で、たくさんのことを考え、悩み、成長してきた。雑誌のテーマでもある、あの時代の輝きを今にフィードバックして元気な世の中を取り戻そうと言い切れるのは、その前にたった20年で離陸準備をすべて整えた時代を経ているからで、懸命に駆け抜けた先代たちの努力の賜物である。

そして次の20年は社会の中で紆余曲折にもまれながら生きてきた。人生そのものが様々な問題に直面して、その度に答えを求められるところに時代に急激な逆風が吹き始めた大変な20年だった。そしてさらに、3つめの20年のまっただ中にいる我々は、これまでの人生で最も強い逆風が吹きすさぶ中で、必死になっている。仕上げとなる60歳を迎えたときにどんな自分と環境になっているのか、それなりの予想が立っている人はほんの一握りで、誰もが一寸先は闇の中を生きている。そうなのだが、僕は腹の底から笑っている。なんとかなると大口を叩く。仕事とどんな関わりをしているかなんてまったくわからないが、汗をかいている自分でいたいと願っている。

その5年後、65歳になる年の6月1日に次の金環日食が北海道で見られるそうだ。きっと昨日のことを思い出し、この文章を読み返すしているのだろうなんて考えている自分を、あざ笑っている今日だ。さて、はたして『昭和40年男』は続いているのだろうか? もし続いていたらご褒美に北海道まで金環日食を見に行こう。それよりなにより、僕は生きているのだろうか? うーむ、微妙なところだな。

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