「実家の庭に柿がなっていて」と、会社の仲間が持ってきてくれた。この色、秋を感じさせてくれますな。「柿が赤くなると医者が青くなる」とは、庭に目いっぱい柿がなる叔父の口癖だった。呑んべえにいいと聞くし、甘いものが苦手な僕でも果物は好みのものが多い。だが俺たちのガキの頃とは果物事情がずいぶん変化、進化している。梨は長十郎のようなガリガリとしたやつが俺たち世代の梨だったが、今やなめらかで水分たっぷりが主流のようだ。りんごだって紅玉の酸っぱさが俺たちのりんごだったが、今やさまざまな種類の甘〜いりんごが並ぶ。シャインマスカットなんて初めて食った時は、これはぶどうでないと感動させられた。
日々努力なのだろう、甘さとなめらかさが昔と断然異なる。でもね、長十郎だったり紅玉だって、めんどくさいなあと言いながら食った粒の小さな種なしぶどうも、どれもこれも喜んでいた。今のガキどもは、舌のレベルが格段に上がっていることになる。でもね、農家さんには申し訳ないのだが、種なしになったなめらかな最新の柿より、このガリガリくんの方が僕は断然好みなのだ。筆柿も大好きで、これらを皮ごと食うのはガキの頃より変わらない。素朴な味を愛している。
先日、出張先の八百屋の店頭に、ザクロがご自由にお持ちくださいと置いてあった。さらにそこには、今回いただいた感じの柿が5つ100円で売られていた。庭でなったのをそのまま並べていたのだろう。思えばザクロなんてもう40年以上食っていない気がするが、ガキの頃は裏の庭付きの家から差し入れられて、ぶどうと同じくめんどくさいなあとブツブツ言いながら、それでも喜んで食っていたっけ。それはそれで、やはり幸せいっぱいだったのだ。
庭に果物がなる。それをご近所に配る。昭和によくあった当たり前が、都会では感じることが少なくなった。夕方になると、我が街・東京荒川区ではおかずの流通がちょくちょくあった。「芋ふかしたよ」「ひじき煮たよ」など、作り過ぎちゃったのだと粋な言い訳で、配って配られて食卓を飾ってくれた。うーむ、幸せである。「実家の庭に柿がなっていて」と照れくさそうに配ってくれた彼から、そんな昭和の原風景へと旅に出られたよ。ごっつぁんです。