去年の今頃、書店に並んでいた『昭和40年男』vol.69 の 特集の大トリで、彼に登場していただいた。特集タイトルを『タメ年男の正体』として、得意の SIDE A/B パターンで仕上げた。A面をタメ年たちのインタビューで構成し、B面を「俺たちを創り上げた男たち」として、中村雅俊さんのインタビューやアントニオ猪木さんの記事でかためた。プロローグは本誌初登場で表紙を飾ってもらった錦織一清さんで、エピローグとして仲本工事さんのインタビューでピリリと締めたのだ。その仲本さんが逝ってしまった。
ドリフターズには僕にとって人生レベルの影響をもらった。運動神経の鈍い僕が、クラスで認めてもらうのにお笑いを武器にした。という意識はおそらく振り返っての感覚で、人様に笑ってもらえることが大好きだったのだ。それは、ブラウン管越しに観るドリフを笑っている自分が、幸せを感じていたからだろう。学級会でお楽しみ会の開催を提案しては、ドリフのコントにアレンジを施し披露して、クラスのガハハを作った。僕が台本を作り込むわけで、当然ながら志村けん役だ。そして運動神経のない僕だから、体操コントはやらなかった。が、あのコーナーの仲本さんを見てうっとりしていた。クルクルと回る仲本さんに憧れなかった者はおるまい。
その彼が、まさかまさかの交通事故で亡くなるとは。小柳ルミ子さんが出した「長さんに叱られるよ」というコメントが痛々しすぎる。
ご覧のこの記事では取材終了後のコメントが掲載され、ページを締めくくっている。「皆さん詳しいねえ。こうやって質問受けるけど、それでどうするの? 俺たちと同じように一生懸命やるの? やらないの? やっぱりそこだよ。自分もこれ以上努力するのか、しないで終わっちゃうのか。本人次第だよね (以下続く) 」とのありがたい説教をいただいた。胸に刻んで努力していきます。ありがとうございました、仲本工事さん。ゆっくりとおやすみください。