電子ゲームの進化の歴史を実物大のマシンとともに検証する本企画。今回登場するのは、エポック社のポケットデジコムシリーズ「モンスターパニック」。モンスター5体と闘いながら脱出を目指す、熱いストーリーだ。
モンスターだらけの屋敷内でパニック状態!
エポック社 ポケットデジコム「モンスターパニック」
発売:1982年 当時価格:4,980円 電池:LR44×2個
少年を操作し、モンスターを避けたり攻撃したりしながら屋敷からの脱出を目指す。操作系は、本体左側に時間の設定ボタン、右側に時計・ストップウォッチ・ゲーム切り替えボタン、中央部には十字の配置で左右への移動、ジャンプ、アタックボタンを搭載
昭和50年男がエポック社と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「野球盤」や「カセットビジョン」、その後継機にあたる「スーパーカセットビジョン」だろう。同社は1958年、「野球盤」販売のために設立され、社名のとおり「エポックメイキング(画期的)なことがしたい」という思いが商品群には込められている。その精神は初期のデジタルゲーム分野においても存分に発揮され、ファミコン発売前後まで最先端の玩具メーカーとして意欲的な製品を生み出してきた。国産初の家庭用ゲーム機「テレビテニス」(75年)や電子ゲーム「デジコム」シリーズ(79年~)、国内初のロムカセット交換式LCD(液晶)ゲーム機「ゲームポケコン」(84年)といった画期的な製品を他メーカーに先駆けて発売。電子ゲームのラインナップこそ決して多くはないが、個性の強さはピカイチで、まだ小学校低学年だったオレたちにも強烈なインパクトを残した。
今回はエポック社が培ってきたエレクトロニクストイのノウハウを集約したLCDゲーム『モンスターパニック』を紹介したい。内容は、モンスターハウスに迷い込んだ少年を操作し、5体のモンスターとの死闘を繰り広げるアクション。本作の白眉は、それぞれの関門をすべて異なる方法で突破していくという点にある。それまでの多くの電子ゲームは、敵を避けるか攻撃するかのパターンの繰り返しだったが、『モンスターパニック』では表現力の乏しい電子ゲームにいくつもの要素を付加することに挑み、それがゲーム性を大きく向上させた。
第1関門(❶)では、両腕をバラバラに動かすフランケンシュタインに捕まらないように通り抜ける。両腕のレンジ外であるスタート地点はいわば安全地帯ではあるが、一定時間経つと大足男によって前に蹴り出されてしまうのでうかうかしていられない。第2関門(❷)では、コウモリから変身するドラキュラを避ける。なお、懐に飛び込めば十字架を使って撃退することも可能。続く第3関門(❸)では、池から襲ってくる半魚人を避けるかナイフで撃退してはしごを上がる。第4関門(❹)ではミイラ男が落としてくる爆弾をタイミングよくジャンプで飛び越しながら階段を登っていく。戸が開いたタイミングで最上階の屋根裏に入り、最後の関門(❺)ではガイコツ男との一騎打ち。まずは左端にある剣を取ってガイコツ男を出口に追い詰めるのだが、敵も負けじと攻撃してくるので手強い。4回突き刺すとガイコツ男が屋根裏から落ちて脱出に成功。その後はループし、モンスターのスピードが速くなって最高10段階までレベルアップする。
各関門での攻守を交えたモンスターとの熱いバトル性がウケ、以降の同社の電子ゲームの主流となっていく。フランケン、ドラキュラなど登場するモンスター数が多いのも魅力。ゲーム内容とは無関係だが、時計機能のアラームオン・オフ表示には狼男を用いた演出にニヤリとさせられる。当時、筆者の周りには任天堂「ゲーム&ウオッチ」、バンダイ「LCDソーラーパワー」、エポック社の「ポケットデジコム」のいずれかを持っていた人が多く、『モンスターパニック』も友達によく遊ばせてもらったのを覚えている。あの頃を思い出しながら、電子ゲームの進化をいま一度感じてほしい。
4方向キーで操作! エポック社の「ポケットデジコム」と「スーパーワイド」シリーズ
ポケットデジコムシリーズのラインナップは廉価版の『パクパクモンスターⅡ』を含めて4つ。後期には画面幅が広がった同スーパーワイドシリーズが7つ登場した。
オイルギャング(’82)
パクパクマン(’82)
スペースパニック(’83)
スペースクラッシャー(’83)
ジャングルヒーロー(’83)
妖怪ゴルゴン(’83)
【『昭和50年男』2022年 1月号/vol.014 掲載】
文・コレクション提供: 山崎 功 撮影: 小林岳夫
山崎 功 / 昭和51年 3月生まれ、神奈川県出身。任天堂研究家として同社の製品収集・保存を行う「任天堂アーカイブプロジェクト」を運営。『懐かしの電子ゲーム大博覧会』などの著書あり。NPO法人「ゲーム保存協会」にて電子ゲームのアーカイブ活動中。