我が街、浜松町には東京タワーや増上寺、芝離宮に芝公園といった名所が多くあり、都内でもちょっと誇れる観光地である。その中で、かつては光を放っていたのが 貿易センタービル だ。去年の6月末に営業を終了して解体が始まった。昭和45年の竣工時には、日本一の高さを誇ったビルで 昭和33年に完成した東京タワーとともに、高さを誇るコンビだった。半世紀を超えてその役目を終え、一方タワーはずいぶん以前にスカイツリーに日本一を奪われた。うん、なんだかちょっと寂しいぞ、我が街。
さてさて、そのかつての日本一をどう解体するのかだ。大好きだったし、地下食堂街や弟の結婚式、書店に病院だったりと何かとお世話になったビルの解体を注視していた僕だ。この写真が今年の6月でだいぶ背が低くなっていた。どうやら中身をまず空洞にして、外壁を上から壊しているようだ。ドッカーンと爆破なんかできるはずがなく、だいぶ手間と時間がかかる工法で取り組んでいる。
昭和30年代から40年代に、大型ビルがバンバン建った。その収束時に来ている。ビルに限ったことでなく、下町に行けば家主のいない駆逐された家をよく見かける。観光地なんかで、今にも崩れそうなかつての社員旅行を支えた大型旅館なんかにも出くわすことが多い。さてさて、この負の遺産をどうしたものかと考え込んでしまうことが昨今多く、日本の大問題である。それは建築物に限ったことなく、ジワジワと迫ってきている円安にもつながっているんだなあ。
こうして手間暇かけて解体されるビルは、考えてみれば幸せ者である。2027年には、ニュー貿易センタービルに生まれ変わるそうで、すでに裏にはツインタワーとなる貿易センタービルの片方が営業を開始している。残念ながらそこには食堂街も書店も入らなかったから、こちらに期待している。が、まだまだ5年も先のことで少しの時間がかかるなあと思いきや、きっと一瞬のごとく過ぎるのだろう。こちらの写真がつい最近のもので、上から約3ヶ月を経ている。確実に低くなっていて、このペースだとあと半年から1年くらいで平地になるだろうか。埃は立たず騒音も極めて小さいこの技術にはうなるばかりであり、見事な幕引きだ。定点観測を続けながら、負の遺産について解決策を考え続けたい。できるできないでなく、思いを張り巡らせることを放棄したくないと、低くなったビルを見上げながら拳を固めている。そんな昭和のおっさんらしいバカバカしさを感じて、笑っちゃったりしていたよ、ハハハ。