若さゆえの苦悩。

▲ギタリストの頭越しの僕。狭い貸しスタジオは汗と知恵を注ぎ込んで過ごした部屋だ

古い写真が出てきた。これはおそらく20歳くらいの頃だと思われる。スタジオでうなだれるの顔がギラギラしていて、我ながらいい。これほどまでに悩んでいるのは、新曲のアレンジについて。それしかない。この写真は、当時働いていた上野の居酒屋「あいうえお」に、写真の専門学校で学んでいるヤツが入ってきて、ライブを撮影してもらったら被写体として僕らをを追いかけたいと申し出ててくれた。これはまさにスタジオ密着で撮影されたものだ。うんうん、“若さゆえの苦悩” とでもタイトルしよう。

 

単身大阪に渡って自分を追い込んだ。それを経て帰ってきて、いよいよメジャーへと駆け上がるんだとバイトとスタジオ練習とライブハウスでの演奏、そしてコンテストに出ては敗退を繰り返していた。「いつか」を目指して懸命だったがそれはやってこず、ズルズルといまだにギターを弾いては歌っている。昨今では音楽に対してこんな風に苦悩することがなく、“楽” を満喫している。

 

一昨日「Z世代」について触れたが、日本にもすげーミュージシャンが次々に出てきていて、この苦悩の頃に比べれば音楽に夢を見るにはいい環境である。当時は洋楽の方がレベルが高いと思い込んでいたから、意味のわからない言葉なのに無理矢理追いかけては知識にしたが、今や見習うべき邦楽バンドはあふれている。海外で通用している者も格段に多く、バンドマンたちにとって環境はすこぶるいい。

 

だが今も昔も変わっていないのは、悩みに悩んで作り込んでいることだ。才能と力を使い切るかのように注ぎ込む快感は、音楽に限ったことなくどんな世界でも共通である。そしてその集中力の必要性は、どんなに世が移ろうとも変わらないのは言うまでもない。一昨日の続きのようになってしまうが、サブスクで誰がやっている音楽だかも分からずに聴いているという話も聞く。昭和のおっさんは閉口させられるが、その量を若いうち、とくに10代で叩き込んでいる若者たちの音楽的素養が伸びることは間違いない。僕ら世代と圧倒的に違うのは、デジタル技術によってもたらされた量だ。そこから本当に自分だけが好きなものを見つけて掘り込んでいくから、レベルアップしていく。基本となる量ってのは大切で、かつてスガ シカオさんにインタビューした時にレンタルレコード店にあるほぼ全てを聴いたと笑っていた。当時の僕らにとって、レンタルレコードはサブスク級の革命だったのだ。そしてくどいようだが、時代は変わっていくけど人間は変わっちゃいないんだ。

 

最近、仕事でZ世代のことを考えさせられる場面が多く、タイムリーにこんな写真が出てきたものだから心地よく今日のつぶやきの気分を味わっている。うんうん、変わっちゃいないと。
 

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