変〜身、とぉう!

ローリング・ストーンズへと傾倒していった俺は、
絶対的なヒーローであるキースがニヒルに笑い、
ジャック・ダニエルをラッパ飲みして、ギターをひっかく。
そんな姿に震えた。
日に日に、早弾きでソロをとるという行為さえもがかっこ悪く思え、
ストラトやレスポールを一生懸命弾くスタイルから離れていった。
テレキャスター(もちろん激安コピーモデル)を手に入れ
薄っぺらな音でリズムを刻むことや、
ブルースのフレーズをいなたく弾くことに自分のスタイルを見出してしまったのだ。

せっかく上手になったギターなのにテクニック向上を封印して、
たったひとつの音がどこまで魂を揺さぶるのかという、
高校生にしては大バカやろーな方向へと磨きをかけたのである。
これが俺の失ってしまったものであり、得たものでもある。

歌にハマっていったことも別の次元で大きな現象だったといえる。
ロックやソウルの好きなヴォーカリストで、
ギターを弾きながらしかもうまいというミュージシャンは少なく、
専念した方がいい歌になるという気持ちが芽生えていた。

でも、キース・リチャーズはヒーローの第一位なのだ。
でも、自分の気持ちはヴォーカリストであり、
やっぱりギターも捨てられないというわけのわからん俺がいた。
でも、でも、でも…。

しかし、こんなグチャグチャした時間は運命的に解決へと向かった。
ギターから一歩引くことをすんなりと決意できたからだ。
それは高2の秋に学園祭のゲスト演奏に呼ばれたセッションで
あるギタリストと出会ったことによる。
どうひいき目に見ても、俺より格段にうまい。
それにキャラも完璧なギタリストなのだ。

バンドマンガの名作である『気分はグルービー』のバンド
“ピテカントロプスエレクトス”のギタリスト、稲村とうりふたつなのだ(知らないよね)。
ちょうどメンバーが1人、また1人と抜けていき、6人いたメンバーは
半分のトリオにまで減っていた頃だった。

これは神が与えたチャンスに違いないと、俺はヤツをバンドに誘った。
高2の10月3日、放課後の俺は交渉に当たった。
また、忘れられない日が加わったのだ。
稲村じゃない、藤元直樹という今は天国にいる天才と俺は
一緒に音楽を紡いでいくことになった。
「オイラと組まないか? 儲けようぜ どうだい乗らないか? よーこそー(by RCサクセション)」な気分でバンドに誘い、
見事にヤツのハートをゲットしたのだった。
ヤツの加入が、バンドを飛躍的に加速させた。

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2件のコメント

  1. おっ、気分はグルービーにコメントとはウレシイです。
    すごくいいマンガでしたよね。
    いまだに単行本を大切にしています。

    浅草は気楽でラフな場所にしようと思っていますので、どうぞお気軽に来てください。

  2. 「気分はグルービー」、大好きでした。あの頃のチャンピオンは最強でしたよね。
    今日書店で奇抜なタイトルが目に留まったので思わず購入しました。浅草の秘密基地にも是非行きたいなあ。

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