不定期連載企画、懐かしの名盤ジャンジャカジャーンのシリーズ第9弾は、ザ・バンドでお送りしている。1976年に事実上解散しているから、リアルタイムで聴いていたという昭和40年男は稀だろう。素晴らしい功績を持つスーパーバンドだが、いぶし銀なサウンドのためか国内での評価が低すぎるように感じてならない。もしも聴いたことがなかったら、今すぐチェックしてみてほしい。40年以上前のデビューとは思えない素晴らしい世界を知ることになるはずだ。
『昭和40年男』の取材現場でも度々出くわす、大成功や名作が生まれた裏には必ずドラマがある。ザ・バンドのデビューアルバムが時代を超越したレベルのものになったのは、ロニー・ホーキンスのバックバンドから、乱痴気騒ぎのどさ回り時代を経てすでに十分なキャリアを積んでいたところに、さらにボブ・ディランとの出会いがあったことだ。
この頃のディランは、ドラッグにハマりながらも最も力があった時期であり、ジョン・レノンさえ心酔させた。ジョン・レノンだけでない、当時の多くのミュージシャンたちがディランを尊敬していたといっていいだろう。ザ・バンドは、ディランがフォークギターを捨ててエレクトリックに移行していった、1965~66年のワールドツアーでバックバンドを務めた。どの会場もエレギギターを持ったディランに対して、大ブーイングが巻き起こったツアーをこなしたことは、後にツアーバンドとしての実力を存分に発揮したベースになった。ちょっと後の録音になるが、ディランとザ・バンドの壮絶なライブは1974 年のツアーを収録したアルバム『偉大なる復活』でたっぷりと楽しめる。このころはザ・バンドの人気も絶頂期であり、この年1番のプラチナチケットといわれる。
ツアー中にバイク事故で重傷を負ったディランは、長い療養の後に少しずつ音楽制作を再開した。この時に傍らにいたのがザ・バンドの面々であり、デビューアルバムで奇跡を起こすための総仕上げの時間となる。ニューヨーク北部のウッドストックにあるディランの自宅近くに大きな農家を借りて生活を始めた。この地下室で来る日も来る日も集まって演奏し、録音を繰り返したそうだ。150曲以上録音したとされるこの約4ヶ月こそが、ザ・バンドにとって長い下積み生活の中(とはいってもすでにディランのバックで広く知られていたが)で、最も音楽的な成長を遂げた時間だ。この音源は8年を経て、そのまま『The Basement Tapes/地下室』とのカッコいいタイトルでリリースされていて、ディランの変革とザ・バンドの成長を裏付ける貴重な資料であり、また勢いをそのまま感じられる素晴らしいスタジオセッションアルバムである。
そしていよいよ、本格的にバンドとしてのレコーディングに入り完成させたのが『Music From Big Pink/ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』であり、地下室で録音を繰り返していた翌68年に世に発表された。ディランと過ごした農家の壁がピンクに塗られていて、皆がビックピンクと呼んだからこのタイトルになった。ディランとの時間が、デビューアルバムに込められ届けられたのだ。(つづく)